大川隆法総裁急逝「今からでも間に合う!幸福の科学入門」(前編)【もっちりーま】
宗教二世問題から考えるべきこととは(前編)
■3-3. なぜ「幸福実現党」は選挙で勝てないのか
さらに、この話をイベントバーで与国秀行氏(幸福の科学の職員、動画配信者)にした時、彼は「そんな些細なことで」と言ったのです。「所詮人間だから」と信仰と教団の実態を切り離して考えている私も「弟子同士の未熟さだな」と考えていましたが、当事者がそう認識していることと、その信者の金で暮らしている職員がそのように言えてしまうことは違います。
対立政党が火災翌日にすぐお見舞いに来て「何かできることがあればなんでも連絡してください」と言い残していったことを対比すると、生活している人の様子を想像してコミュニケーションがとれない、人間関係の構築の仕方を知らないことが、選挙で負け続けている真の原因だとよくわかります。
蛇足ですが、幸福の科学に登場するイエス・キリスト(愛の教えを担当している)は病気平癒祈願や学園応援歌などで「立て、立ち上がれ、何度でも何度でも」と説く、ボロボロになった弟子に「心を燃やせ!」と言うタイプの指導者であり、幸福の科学で説かれる「愛」のメインがそのような厳しい愛なので、信者同士が “このように” 心を燃やし合うことは教義上矛盾してません。
学生で、教団と関わりが近くなかった私でも、このようなクズエピソードは尽きないほどあり、社会的地位や子育ての成果、布教活動やお布施で常に評価し合う信者や、その子供がどのような環境でどのような価値観を構成していくか、課題があることは明白です。
■終わりに
教団から離れてからは私にとって、大川隆法氏は関係ない組織のリーダーというだけですが、生まれてから今でも、総裁先生(大川隆法氏のことを信者はこう呼びます)と無関係だった瞬間はなく、アイデンティティの一部として受け入れるしかない存在です。
教団に対して不満や問題も強く心に残っていますが、納得できる点や感謝できる点もありました。私も困った時には神に相談し、悲しい時や苦しい時には神に祈り、嬉しいことがあれば神に感謝するように生きてきて、「まだ死んでほしくない」と復活を祈り続ける信者の方々の気持ちを理解することもできます。
幸福の科学での私の思い出を書いて読者に説明できたかわかりませんが、つまり信者は「祈願」に期待したり、「霊言」にハマっているのではなく、それを含めた、「世間からしても当たり前だと言える教え」や「その教えを信じている人たちの純粋さや熱心さ」を見ているのではないでしょうか。またその信じ方にもグラデーションがあり、映画を「見たら奇跡が起こるもの」として観ている人もいれば、「ウケるな」という程度に観ている人もいます。
幸福の科学の高額なお布施や、差別的な主張、二世問題を批判するためには、「なぜ信じてしまうのか」=「信者は社会に何が欠けていると考えているのか」を理解したり、「信じること」自体への評価を避け「どう信じているのか」という信者の行動に注目しなければ、論点を見つけ出すことができません。
最初に述べたように、今後教団の規模や活動が縮小していくことは間違いありません。しかし今後、歴史や社会の中に幸福の科学を位置付けていくためには、わかりやすいカルト性、どれだけ常識と離れていたか、だけではなく、教義体系、それを表した体制や教義教育システム、それが信者にどう活用され、どういう文脈が作られてきたか、という面を含めて考えていく必要があるでしょう。
文:もっちりーま