福岡は河童伝説の宝庫! 筑後川に住みついたユニークな妖怪たち |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

福岡は河童伝説の宝庫! 筑後川に住みついたユニークな妖怪たち

『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』刊行記念。福岡の地名と歴史を訪ねる旅へ【第六回】

姪浜住吉神社の河童像(写真:一坂太郎)

◆歴史上の人物との河童エピソード

 歴史上の人物と絡めた河童伝説も多い。

 菅原道真が筑後川で暗殺されかけた時、河童が助けた。ところが河童の将は、刺客に右腕を斬り落とされてしまった。その腕が北野天満宮(久留米市)に伝わる。

 平清盛が没後、河童になり筑後川の支流である巨瀬川に住みついたともいう。妻の時子に会う時、川が荒れると言われる。

 戦国時代には福岡城主だった小早川隆景の腰元が、河童により多々良川に引きずり込まれてしまった。隆景から依頼された観教院(のち清瀧院)の住職が二十一日間かけて祈禱を行うと、河童の死骸が川に浮かぶ。ところが、腰元はついに見つからなかった。隆景は河童の腕を斬り取り、観教院に納めて腰元の霊を慰めたという。

 幕末になると現在の福岡市中央区大名にあった鷹取養巴の屋敷にも、河童が出現したとの話が残る。養巴は福岡藩の外科医で、慶応元年(一八六五)の「乙丑の獄」で切腹させられた勤王派の幹部だ。ある時、養巴の夫人が、厠で悪戯(いたずら)をする河童の腕を懐剣で斬り落とした。困った河童は、三日のうちなら手を接ぐことが出来ると、養巴に哀願。養巴は腕を返してやる代わり、骨接の秘伝を河童から聞き取ったという。

 人間社会の風刺ともいうべき河童をこよなく愛したのが、作家の火野葦平だ。現在の北九州市若松区に生まれた葦平は、沖仲仕だった父の玉井金五郎をモデルにした『花と龍』や、兵隊小説の『麦と兵隊』などの作品で知られる。河童を主人公にした『魚眼記』があり、「河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない」(志村有弘『福岡県文学事典』平成二十二年)と語っていた。昭和十五年から同三十五年に亡くなるまで住んだ若松区白山の邸宅を「河伯洞」と名付けたほどだ。「河伯」とは河童のことである。

オススメ記事

RELATED BOOKS -関連書籍-

福岡 地名の謎と歴史を訪ねて (ベスト新書)
福岡 地名の謎と歴史を訪ねて (ベスト新書)
  • 一坂 太郎
  • 2016.04.09