【連載】適菜収 死ぬ前に後悔しない読書術
〈第22回〉なぜ世界は不幸になったのか
哲学者・適菜収が「人生を確実に変える読書術」の極意を語る!
「読書で知的武装」するなんて実にくだらない!
「情報を仕入れるための読書」から、いい加減、卒業しよう!
ゲーテ、ニーチェ、アレント、小林秀雄、三島由紀夫……
偉人たちはどんな「本の読み方」をしていたのだろうか?
正しい「思考法」「価値判断」を身に付ける読書術とは?
哲学者・適菜収が初めて語る「大人の読書」のススメ。
第22回
なぜ世界は不幸になったのか
これだけ散々新聞の悪口を書いておいて言うのもなんですが、私は某新聞で匿名書評を約二年間、産経新聞でコラムを二年半連載したことがあります。
産経新聞のほうは「賢者に学ぶ」というタイトルで、保守思想家の言葉を引用しながら、世相を語りました。
そこで取り上げたのは、ショウペンハウエル、新渡戸稲造、ヴィーコ、ジョージ・オーウェル(一九〇三~五〇年)、プルタルコス、ヤスパース、岡潔(一九〇一~七八年)、三島由紀夫、マイケル・オークショット(一九〇一~九〇年)、福田恆存、ゲーテ、小林秀雄、西田幾多郎(一八七〇~一九四五年)、エドワード・ハレット・カー(一八九二~一九八二年)、アレント、ジョン・アクトン(一八三四~一九〇二年)、エドマンド・バーク、オルテガ、ニーチェ、キルケゴール、ギュスターヴ・ル・ボン(一八四一~一九三一年)、ウォルター・リップマン(一八八九~一九七四年)、福澤諭吉(一八三五~一九〇一年)、山本七平(一九二一~九一年)、シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(一六八九~一七五五年)、ヴェーバー、開高健、ニッコロ・マキャベリ(一四六九~一五二七年)、トクヴィル、ポランニーといった人々です。
この連載を機に学生時代に読んだ本を読み返してみたのですが、忘れていたり、きちんと理解していなかったりした部分を発見できた。
だから、書くのは大事です。
昔からいわれていることですが、アウトプットする目的があれば、読書の集中力も高まる。
試験前に学生が一生懸命勉強するのと同じです。
内輪の飲み会で読んでいる本について話すのが目的でもいい。
社交のための小噺です。
私が尊敬する人は小噺ができる人です。
人に会う前には小噺を用意しておくべきだということを、私は開高健に学びました。
なお、真っ当な保守思想家について語ることにより、現在のわが国の「保守」政党、「保守」メディア、「保守」論壇、「保守」評論家のデタラメぶりが自ずから明らかになってきて、「さすがにこれはまずい」という判断があったのかどうかは知りませんが、産経の連載は終了してしまいました。
『ミシマの警告』という本にも書いたのですが、今、「保守」と呼ばれている人たちが急速に劣化しています。
より正確にいえば、本来の保守はほとんど消滅し、保守でもなんでもない人たちが保守を偽装し、社会の一線で大きな声を上げている。
本来の保守は「正解」というものを警戒したはずですが、今の「自称保守」は正義や正しい歴史を唱えて社会運動を始めています。
福田恆存は「歴史にみとおしをもたないのが保守だ」と言いました。
これは、歴史の背後に超越的な説明原理を打ち立てないということです。
歴史に「正解」があれば簡単です。
「正しい歴史」を暗記し、「間違った歴史」を唱える人間を罵倒すれば済む話だからです。
ある事象に対し、一面的な答えを出す統一基準があれば、思考する必要もありません。
しかし、こうした単純な思考の危険性が明らかになったのが、少なくともこの二〇〇年の歴史です。
人間理性に懐疑的であるのが保守ですが、今は近代主義者が保守を名乗るようになってしまった。それで権力の暴走に対する批判も機能しなくなっている。
このような状況下で正気を維持するためには、やはり古典を読むしかありません。
言葉を正確に使う。
その瞬間に、現在の狂気が浮かび上がります。
〈第23回「古典とは新しい本のことである」につづく〉
著者略歴
適菜 収(てきな・おさむ)
1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『日本を救うC層の研究』(講談社)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)など著書多数。