【連載】適菜収 死ぬ前に後悔しない読書術
〈第23回〉古典とは新しい本のことである
哲学者・適菜収が「人生を確実に変える読書術」の極意を語る!
「読書で知的武装」するなんて実にくだらない!
「情報を仕入れるための読書」から、いい加減、卒業しよう!
ゲーテ、ニーチェ、アレント、小林秀雄、三島由紀夫……
偉人たちはどんな「本の読み方」をしていたのだろうか?
正しい「思考法」「価値判断」を身に付ける読書術とは?
哲学者・適菜収が初めて語る「大人の読書」のススメ。
第23回
古典とは新しい本のことである
昔から、政治家の愛読書をとりあげる雑誌の企画があります。
ありがちなのは、「今の政治家は司馬遼太郎(一九二三~九六年)の『坂の上の雲』なんかを愛読書に挙げている。情けない。司馬遷(紀元前一四五/一三五~紀元前八七/八六年)の『史記』ならともかく」といった類のものです。政治の劣化の象徴として揶揄(やゆ)するわけですね。
でも、いまやそれどころではなくて、『永遠の0』が愛読書の総理大臣や『いま、会いにゆきます』が愛読書の大阪市長まで出現した。
すでに前提が崩壊しているわけです。
これは知り合いの中国人の学者から聞いた話ですが、今の中国のインテリに人気があるのは京セラの創業者・稲盛和夫だそうです。一企業経営者の本に政治家も飛びついている。
庶民レベルになると、『論語』や『荘子』の存在自体を知らないそうです。
多くの中国人は古典はカッコ悪いものであり、拝金主義がカッコいいと思っている。
あくまでその学者の話ですが、これは少しわかるような気がします。
中国人は自国の歴史をそれほど大切にしないのです。
問題は、日本人もそうなってきていることです。
『源氏物語』もほとんど読まれていない。
『大鏡』も『方丈記』も存在自体を知らない日本人は存在する。
三島由紀夫は言います。
危機において古典は立ち現れる。
すでに最終段階に突き進んでいると思われる日本社会において、正気を維持するには古典を振り返るしかありません。
病んだ社会において病んだ人間が示す解決策は、病んだものです。
ブレーキを踏むべきところでアクセルを踏んでいるのが近代人です。
そう考えたときに、どこに最良の薬があるのかといえば、古典しかない。
なお、三島が『日本文学小史』で、われわれの文化の基盤となっている古典作品を挙げているので、それを紹介しておきます。
〈第24回「読者は消費者ではない」につづく〉
著者略歴
適菜 収(てきな・おさむ)
1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『日本を救うC層の研究』(講談社)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)など著書多数。