ウクライナ戦争を対米自立の契機とせよ!【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」48
◆現状はどこまで便利なのだ?
ウクライナ戦争をめぐっては「国際社会がこぞってロシアを非難、ウクライナを支援しているにもかかわらず、プーチンが意地になって攻撃を続けている」ようなイメージがありますが、これも十分に正しくありません。
作家の一田和樹が「ウクライナ侵攻1年、世界の半分以上はウクライナを支持していない」(ニューズウィーク日本版、2023年3月6日)で指摘するとおり、それは先進国、いわゆる「グローバル・ノース」の間でのこと。
「グローバル・サウス」、途上国の大半は、ウクライナへの武器供与や、ロシアへの制裁といった支援行動とは無縁です。
国の数や人口から言えば、こちらのほうが多いのですぞ。
それどころか、ロシアとの関係を深める国まで見られる始末。
お分かりですね。
グローバル・サウスは現在の国際秩序において割を食いやすいので、現状維持を大して「便利」だと思っていないのです。
だから「守護」にも(積極的には)動かない。
要はただ、その現状なるものの如何にあり!
まさに至言ではありませんか。
メリッサ・チャンを悲しませた「岸田と習の落差」にしても、こうなると「日本は〈善の国〉へと向上したのに、中国は〈悪の国〉に転落しつつある」とばかり解釈することはできなくなる。
日本は国際秩序の現状を非常に便利だと思っているが、中国はそう便利だと思っていない。
じつはそれだけのことなのです。
けれども国際秩序の現状は、わが国にとって本当にそこまで便利なのか?
この点を考えるには、くだんの秩序が持つ性格について、きっちり整理しなければなりません。
すでに述べたとおり、ここには「権威主義にたいする自由民主主義の優越」と、「米欧、とくにアメリカの世界的覇権」という二つの側面が見られるからです。
二つの側面は、重なり合ってこそいるもののイコールではない。
覇権の維持にとって不都合だと判断したら最後、アメリカはしばしば強権的な姿勢に出ています。
近年における代表例は、むろんイラク戦争。
2007年、ミュンヘンで開かれた国際安全保障会議に出席したプーチンが「(一極支配には)民主主義との共通性など全くありません」とイヤミを言ったのにも、相応の根拠があるわけです。
国際秩序の守護は、(自由)民主主義の守護を必ずしも意味しない!
メリッサ・チャンにとっては、いよいよ便利ならざる話になってきましたが、これは日本にとって何を意味するのでしょうか?