どうして僕はにゃるらのアンチになったのか【たらい回し人生相談】
【たらい回し人生相談】〜ヤバいやつがもっとヤバいやつに訊く〜 連載第14回
これまで当連載を執筆してきた「筆者」ことミスター発達は「こんな連載しとったら頭おかしなるで。やめたい」などと意味不明な供述をしており、ライターとしての業務を新ライターに引き継ぐことを希望した。
そこで前回告知欄で新たなる「筆者」すなわちライターの募集を行った。
するとなんと応募が来た。新ライターである「ウ」氏はにゃるら氏の紹介というご縁により応募してきてくれた。彼はもともとにゃるら氏のアンチであり、彼をディスるツイートをした結果、DMによってツイート削除を求められること二回だという。
大司教は、ライターとしてのテストを兼ねて彼に応募動機を書くよう求めた。
その結果出てきた文章に人生相談チームは感銘を受け、今回はそれを全文掲載することを決めた。これこそ現代インターネットに必要な文章だと信じてやまない。また記事後半には前任者「ミスター発達」の評論文と大司教の所感もあわせて掲載している。
【応募動機】
私はにゃるらさんに対してツイッターでdisをしていました。「にゃるらがブランド物揃えて、綺麗な部屋に住んで、好きなものに囲まれて好きなことを仕事にして、作詞すれば褒められて、自分たちのコミュニティも築けて、サブカル界隈に取り入るコミュ力もあるのに、毎日病んだ日記付けてるの、マジで何なのか説明してくれよ」等のツイートをしていたところ、彼本人から直接リプライで、誹謗中傷だとお𠮟りを受けて、その時は謝罪をして該当ツイートを消しました。それからというものも彼を嫌いな人からメッセージが来たり、彼の匿名掲示板のスレで自分の名前が度々あがってたり、伏字で彼に対して文句を言ってる人たちとかが微妙にいて、一部で嫌いな人もいるんだなと思いました。彼は有名人ですから、好きな人がたくさんいれば嫌いな人もいるのは当然だと思います。
しかしながら、皆何かしらの“好き”は発信しても“嫌い”はそれだけで発信する側にメリットが皆無なので、それをしないのでしょう。私は頭が悪いので、感情に任せてやってしまっただけで。
もともと彼の読者で有料のnoteも好きで読んでいました。彼が自身を社会不適合者と自称しながらも、作詞をしてその曲が褒められたり、漫画の原作をしたり、ゲームで大ヒットを飛ばしてるなかで、本当の社会不適合者の私は新聞配達をしていて雨のなか事故で骨折して辞めた後は、精神を壊してデイケアに通うみたいな日々を送ってました。デイケアは精神的な不安がある人が社会復帰に通うような奴です。その施設の壁にそこの従事者が描いたであろう、彼の著作である「超てんちゃん」のイラストが飾ってありました。私たちはお金を払ってこの施設に通い、画用紙を規則正しく切るみたいな意味不明な作業をする中で、彼は紛れもなくクリエイティブな仕事をこなし、好きを仕事にして、社会的地位のある人々の仲間入りを果たしていたわけです。
それは彼の努力や才能といったものが産んだ賜物なので称賛に値するものでしょう。このまま抜け出せない日々のなかで彼に対する不満も溜まっていくわけです。今までは共感していても、本当は私たちはネット越しに見ているだけで、私と彼は他人であるという当たり前の事実が現実に押し寄せてきます。
Twitter2を見ていれば分かります。社会や政治の話をせずに、アニメを見たりゲームをしたりして一日が終わる楽しいSNS と言いますが、やはりそこに参加するものは彼の言葉を模倣するのみだし、彼の発言にはたくさんの称賛が付くし、あの箱そのものが彼の共産主義的な政治空間でもあるわけですよね。
こういった感じで、彼への好きが、段々と不満に変わっていったわけであります。端的に嫉妬してると言えばわかりやすいと思います。
つまり彼は私よりほとんどのものを持っているはずなのに、悲しみや生きづらさみたいな要素までも彼が発する言葉に多くの共感が集まりそれが仕事にもつながっていると、それが何もない人間からすると苛つくと思います。めちゃくちゃを言ってるとは思いますが、悲しかったりする部分くらいは私にさせてほしいですよね。