ChatGPTの普及で改めて暴露される「動物化」【仲正昌樹】
「ChatGPTとどう付き合っていくのか」問題の前にその特性を学べ
(b)[作文した人間の能力や努力の評価の問題] は、その文章を作成する目的次第である。学校の国語や外国語の学習で、宿題でChatGPTにやらせた作文をそのまま提出するのはまずいだろう。当然、家で宿題をやっている時に、先生はそれをチェックできない。将来、それを監視するシステムができるかもしれないが、現時点では、SF的な話。ChatGPTに頼りすぎると、作文する能力が身に付かないので、教室での指導や試験で、ちゃんと実力が付いているかを検査する必要がある。
そこで、教師の力量が問われることになるだろう。おざなりの課題を出して、答えを書いて来さえすればいい、という態度では、子供に何らかの表現能力が身に付いているかどうか分からない。少なくとも、短い字数で答えられる定番の答えがあるような宿題は無意味になっていくだろう。そう簡単にChatGPTがサンプルを見つけられないような、複雑な課題を考え、ちゃんと採点しないといけなくなる。
論文に関しては、学問の性質によってかなり異なるだろう。自然科学で、実験をやって結果を示すことに主眼がある分野では、従来の研究成果とか、実験器具の説明のような付属的な事柄はChatGPTを使ってもかまわないだろうし、従来から、雛形になるようなものをちょっとずつアップデートしながら使い回しているはずである。無論、どこが理論的中核部分で、どこからが多少のコピペが許されるのか、厳密な境界線を引くのはその分野のプロでないと正確に判断できないし、安易にChatGPTを使うと、先の著作権の問題にひっかかってしまう恐れがある。
文系の論文、特に哲学や文学、歴史学、法学などは、先人の仕事をどのように把握し、自分がこれからやろうとしていることを、どれとどう関係付けるか、といった解釈が占める割合が高く、論文の大部分を占める場合さえある。ある意味、そういう解釈の技量を示すために、論文を書いているわけであるから、ChatGPTを使える余地、使うことが許容される範囲はかなり小さいと思われる。せいぜい、テンプレ・フレーズ的なもののバリエーションを探すヒントにするくらいしか使えないのではないか。逆に言うと、ChatGPTを多用しても、あまり違和感がない“論文”を書いているとすれば、それは既に分かり切ったことを書いて頁数稼ぎをしている、ということである。