ノムさんの教え 清原は苦労が足りなかった
「苦労は買ってでもしろ」の本質
「力と力の勝負」が野球から妙味を奪っていく <野村克也>
プロ野球シーズンも真っ盛り。これからの季節、ビールを片手に枝豆をつまみながらのプロ野球観戦は、我々サラリーマンの至福の時でもある。
そんな小さな幸せを嚙みしめて数十年というベテラン野球ファンも多いと思うが、「野村克也元監督(以下、ノムさん)の著書を読んでから、プロ野球の見方が変わった」と言う人も多いので、その愉しみ方のヒントを探ってみた。
今回は、ノムさんの言う「考える野球である」。ノムさんは、自分自身を努力の人とし、長嶋や王といった、世間で天才と呼ばれるスター選手に対して、自らを「月見草」と呼ぶことは良く知られるところだ。
そんなノムさんは、まず「力と力の勝負」というやつが嫌いである。
「力と力の勝負」とは、ピッチャーは自分が投げられるめいっぱい速い球を投げ、バッターはそのボールを全力で打ち返すといものである。
「しかし私に言わせれば、そんなものは単なる、投げ損じと打ち損じの野球に過ぎない。大事な場面で、投げ損じと打ち損じの野球をしたがる選手たちの神経が信じられない」と言う。
「優れたプロ野球選手の条件は、体力・気力・知力の3つが揃っていることである。力と力の勝負というのは、このうち知力を省いて、体力と気力だけで勝負をしようというものだ。つまりプロ野球選手以前のレベルで、ピッチャーとバッターが対決しているわけである」
もし清原が「考える野球」をしていたならば
なるほど。そしてこの後に、清原和博に触れた一文がある。本が書かれたのは2014年であるから、事件が明るみになる前であるが、今となるとそれを予感させる一文でもあるので敢えて紹介しておきたい。
「以前巨人にいた清原和博が阪神の藤川球児と対戦したときに、藤川が勝負どころでフォークボールを投げて三振をとられたことに対して、『おまえ、それでもキンタマがついてんのか!』と激昂したのは有名な話である。しかしこれは勘違いもはなはだしい。
清原クラスのバッターに対して、バッテリーがストレートで勝負しないのは当たり前のことである。ストレートはあくまでも見せ球に使い、勝負球には変化球を用いる。これが配球のセオリーだ。
そこで変化球に翻弄されたバッターは、どうすれば変化球が打てるようになるかを必死に研究し、苦手克服に打ち込むようになる。またバッテリーの配球を分析し『読み』の精度を高める努力をする。一方バッテリーも、相手バッターが配球を読むようになってきたら、今度はその裏を読む配球でバッターを打ち取ろうとする。こうした『知力』と『知力』を尽くした戦いが本来の野球のおもしろさであり、奥深さである。
ところが清原は、どんな場面でもストレートを待っていた。その結果、変化球に対応できず、空しくバットが空を切る場面を私は何度も見てきた。
おそらく彼は、天性の素質だけで野球をやってしまったのだと思う。本来清原は、その才能を持ってすればホームラン王や打点王を何度獲ってもおかしくない選手だった。それが結局新人王のタイトルを除けば無冠の帝王で終わってしまったのは、『考える野球』を最後までしようとしなかったからだ」
順風満帆なのが良いとは限らない。努力が人間を磨く
「もしかしたら清原にとっては新人王を獲り、順風満帆にプロ野球人生をスタートさせたことが、かえってあだとなったのかもしれない。新人の年、清原は高卒ルーキーとしてはいずれも史上最高となる打率3割0分4厘、31本塁打、78打点をマークした。だがもし彼がこのとき壁にぶち当たっていたとしたら、『高校時代までとは違って、プロの世界では天性の素質だけでやっていくことはできないんだ』と気づいたことだろう。するとその後の野球に対する彼の姿勢もまったく違ったものになったはずだ。つまり清原はもっと若いときに苦労をするべきだったのだ」
何とも、清原の命運を言い当てるような一文である。そしてこの文章は、こう続く。
「これは指導者の責任も大きいと思う。清原が新人のとき、西武の監督を務めていたのは森祇晶だった。そこで私は森に何度か『清原をあんなふうにしたのはおまえだぞ』と詰問したことがある。私が田中将大の育成を巡って悩んだように、1年目からいきなり主力級の活躍をする高卒ルーキーについては、新人時代をどう過ごさせるかが非常に大切になる。だから指導者は、慎重に彼らと接しなくてはいけない。彼らは確かに野球選手としては卓越したセンスを持っているかもしれないが、精神的にはまだ子どもだからだ」
名将とは、どのような人を指すのか定かではないが、ノムさんのような視点で選手を育て、そしてチームを作ろうというプロ野球の監督が果たしてどれだけいるだろうか? こうしたノムさんの「目」を意識すると、俄然プロ野球観戦も面白くなる。「あの監督は目先の勝利しか考えてないな」というのは、一目瞭然である。この一文をノムさんは、こう締めくくる。
「私が野球界に対して危惧しているのは、清原の考えに代表されるように、『力と力の勝負』などというものが褒めたたえられるような風潮になっていることである。この数十年の間に野球理論は大きく進化したはずなのに、その一方で監督や選手の思考力は低下しつつある。
野球が単に力と力の勝負になってしまったら、力のない者には勝ち目はなくなる。力のない者でも『思考』を働かせることで強者にも勝ち得ることが野球の面白さであったはずなのに、その妙味が失われつつあるように思えてならないのだ──」
さて、ノムさんの一言で、プロ野球観戦をより愉しむことが出来れば幸いである。