なぜテレビのコメンテーターはバカばっかなのか?
炎上を恐れない一言居士ふたりが言いたい放題
中川淳一郎×適菜収 初顔合わせの居酒屋対談
適菜 中川さんはニュースをまとめるのが仕事だから、そのあたりはきびしいのではないですか。私は以前『いたこニーチェ』という小説を書いて、佐藤さんに帯に推薦文を書いてもらったことがある。だからというわけではありませんが、佐藤さんの本は結構肯定的に読んでます。
中川 そこはやっぱり大事なことだとは思うんですよ。人間関係はすごく重要ですから。オレはあまり好きじゃない人には会いたくないので。
適菜 私もそう。嫌な奴とは会わない。
中川 オレは適菜さんの本を読むたびに、劣等感にさいなまされる。本当に勉強量が違うなと。それに適菜さんには視点がある。オレは今日会うのが恥ずかしくてさ。マジですよ。オレはゲーテだって読んでないし、ハイデガーだって、読んで理解できなかった口ですから。
適菜 私だって読書不足です。『死ぬ前に後悔しない読書術』はそういう自戒もこめて書きました。本を書くためには資料として本を読みますが、最初からアウトプットすることが目的だと、理解は深まりますよね。昔、学生の頃、漫然と読んでいても、頭に入ってこなかったものが、書かないといけないとなると読み返すことになる。そうすると、よく理解できるんですよ。引用のポイントも見えてきますよね。
中川 ポイントを完全に抑えていたから、引用の箇所も明確だったんですね。
適菜 基本的に文化は、パクリとか、真似とか、引用だと思っているんですよ。それから、偉大な作家が出した答えを暗記するのではなくて、その思考回路やものの見え方、思考の順番や癖になじむことだと思います。
中川 オレは「子供時代に読んだ本」の項目を読んで、一般の読者は適菜さんにすごく親近感を持つだろうと思ったんだよ。そこには誰もが読んだ本がきちんと並べられていて、「この人と私は同じものを読んでいただろうな」と思わせる。江戸川乱歩の『怪人20面相』とかね。原点は一緒だなと。大江健三郎までいくと少し読者から離れちゃうけど。オレが読んだのはせいぜい『「雨の木」を聴く女たち』とかぐらい。中学生でアメリカにいた時、日本語の活字に飢えていた時に仕方なく読んだ程度です。
適菜 本書では大江健三郎の話をいろいろ書きました。ある人からメールをいただいて、大江健三郎と加藤周一が日本の古典に通じていたのは意外だったと。大江の社会評論はキ◎ガイだけどと。でもそうではなくて、キ◎ガイだから一流の文学が書けるんですよ。文学者にモラルを求めても仕方がありません。