アドラー心理学を実践する方法 意志の力で楽観的に
ブレナイ自分をつくる特効薬
悲観主義は気分、楽観主義は意志
何かとブームの「アドラー心理学」だが、その第一人者として知られる岩井俊憲氏は、理論よりも実践に重きを置く。
ここでは、実は難解とされる「アドラー心理学」のうち、分かりやすい例として、楽観主義と悲観主義について少し解説してみたい。
コップ半分の水、給料日前の7000円
よくある例えですが、あなたに質問します。
あなたは喉が渇いています。目の前のコップに、水が半分入っています。その時あなたはどう思いますか?
「半分しか入っていない」「半分も入っている」
もう一つ質問します。
あなたの給料日は毎月25日です。今日は20日で、財布の中には7千円入っています。その時あなたはどう思いますか?
「あと7千円しかない」「あと7千円もある」
これはあなたの思考の傾向が楽観的(プラス思考)であるか、悲観的(マイナス思考)であるかを問う際によく使われる質問です。
「水が半分も入っている」「あと7千円もある」
「水が半分も入っている」「あと7千円もある」と思える人は楽観的であり、「半分しかない」「7千円しかない」と思う人は悲観的である、ということです。
さて、アドラー心理学で言う、勇気のある人、勇気づけができる人は、楽観的あるいはプラス思考で他者に接します。一方、勇気のない人、勇気をくじく人は悲観的あるいはマイナス思考で他者に接することが多いです。
ただし「楽観的」に関しては、二つ注意点があります。一つは、楽観的であることは能天気であったり、極楽トンボだったりするような呑気で安直であることとは違います。
アドラーはイソップの寓話「二匹のカエル」を用いて、楽観主義者のことを以下のように説明しています。
「二匹のカエルがミルクのいっぱい入った壺の縁を飛んでいました。ところが、突然二匹とも壺の中に落ちてしまいました。一匹目は『もうおしまいだ』と、ゲロゲロ鳴いて溺れ死ぬ覚悟をしました。しかし二匹目のカエルはあきらめませんでした。何度も何度も脚をばたつかせて、とうとうもう一度足が固い地面に着きました。何が起きたと思いますか? なんとミルクがバターに変わっていたのです」
楽観主義者は、性格の発達が全体として真っ直ぐな方向を取る人のことである。彼(女)らはこの二匹目のカエルのように、あらゆる困難に勇敢に立ち向かい、深刻に受け止めない。自信を持ち、人生に対する有利な立場を容易に見出してきた。過度に要求することもない。自己評価が高く、自分が取るに足らないとは感じていないからである。そこで、彼(女)らは、人生の困難に自分を弱く、不完全であるとみなすきっかけを見出すような人よりも容易に耐えることが出来、困難な状況にあっても誤りは再び償うことが出来ると確信して、冷静でいられるのだ。
少々難しくなったが(アドラー自身の言葉は実は難解な解説が多い)、楽観主義のもう一つの注意点は、「時と場合による」と言うことで、いつでも楽観主義的でい続ける、というのは、少々現実離れしているということ。
場合によっては、「リスクマネジメントができない人」「危機管理能力のない人」という烙印を押される可能性も大いにある。
ここ一番で楽観的であれ
大切なのは「ここ一番」というときに断固として楽観主義であること。特に危機的な状況にあるとき、ピンチのときに「ああ、もうだめだ」と思うのと、「こんな状態からでも自分なら逆転できる!」と強く思うのとでは結果に大きな差が出る。
後半ロスタイムまで0-0のサッカーの試合。「今日はスコアレスドローか」とチームの一人でも思ったら、点が入る可能性はほぼないでしょう。でも「まだロスタイムがあるじゃないか!」と全員が一丸となってあきらめない気持ちでボールを追い続け、相手を攻め続ければ、奇跡のゴールが生まれる可能性がそこにはある。
土俵際まで追い詰められた力士は「もはやこれまで」と思った瞬間に寄り切られてしまうでしょう。たとえ徳俵に足がかかっても「ここからが俺の見せ場だ」と思える気持ちがある力士は、相手を投げ返す可能性を残しています。
楽観主義者は長生きし、成功し、何度でも立ち上がる
アメリカには楽観主義者と悲観主義者の研究を25年もの間続けたM・セリグマンという心理学者がいます。研究の結果、驚くべき差が現れたため、彼は、『オプティミスト(楽観主義者)はなぜ成功するか』という本を書き上げました。
両者で大きく違いが現れたのは、うつ病の罹患率、学業、ビジネス、スポーツ、そして平均寿命などです。そこで描かれているのは以下のとおり。
悲観主義者:悪い事態は長く続き、自分は何をやってもうまくいかないだろうし、それは自分が悪いからだと思い込む。良い事態は一時的なもので、その幸運もこの場合にのみ限られていると考える。
楽観主義者:不運や敗北などの悪い事態は一時的なもので、その原因もこの場合にのみ限られていると考える。良い事態は自分の力が及んだためであり、長期間続き、他にもよいことが到来すると解釈する。
「あなたを作ったのはあなたであり、
あなたを変えるのもあなたである」
もちろんこの世界が楽観主義者だけになればよい、というような単純なものではない。例えば、一つの会社が楽観主義者ばかりで構成されていたら、おそらく放漫経営で破たんする。
悲観主義者ばかりで構成されていたら、リスクを過剰に恐れるあまりに新規事業や適切な資本投資を行えなくなり、先細った挙句倒産への道を歩む。企業のトップには、両方のバランスを取るだけの知恵と柔軟性のある最高経営者が必要である、とセリグマンは述べている。
しかしながら、前述のとおり「ここ一番」もしくは「会社存亡の危機」というような場面において、楽観主義的な経営者が難局を乗り切れるか、悲観主義的な経営者が生き残るか、と言われたら、間違いなく「楽観主義的な経営者」に軍配を上げることが出来る。
さて結論として、何が言いたかったかを言えば、岩井氏によれば、悲観主義とは、そもそもが気分であり、楽観主義は意志の力であるということだ。
アドラー心理学の中心的理論と言えるものに、「あなたを作ったのはあなたであり、あなたを変えるのもあなたである」という考え方があるが、要は、今ある自分に責任を持つことで、自分をいかように変えることもできるという教えである。
悲観主義は気分であり、楽観主義は意志である──どちらも自分の考え次第で好きな方を選択できるということだ。さて、あなたはどちらを選ぶ?