「いじめ」と「不登校」そして「新任教諭の早期退職」はどのように繋がっているのか【西岡正樹】
生徒や教師にとっての「学校の居場所」とは
■数週間行方不明になり、発見されたのは・・・
大崎先生は新卒の新任教諭である。3年生を担任している。すべて初めてづくしだが、何事にも臆することなく、進んで取り組んでいるように傍目からは見えた。クラスの子どもたちとの関係はどうなっていたのか。関係がとれていないということでもなさそうだったが、直接話をした訳ではないので真実は分からない。思い起こせば、私は連休に入る前の日、それも私が下校する直前に、彼と言葉を交わしていた。
職員室を出ようとすると大崎先生と目が合った。思わず声をかけた。新採用からの1か月間。初めてクラスを担任する大変さは教師なら誰でも分かる。声もかけたくなるというものだ。
「やっと連休だね、ちょっとゆっくりできるだろう」
「はい、西岡先生も体を休められますね」
「老体だと思っているのか」
「そうじゃないんですか」(笑)
短い会話だったが、違和感を覚えるほどの軽さだった。「軽く冗談を交えて返せるなんて余裕があるな」と思っていたが、あの時感じた彼の不可思議さ(違和感)と今目の前で起こっていることが繋がっていなさそうだが、繋がっているように私には思えた。
そして・・・とうとう・・・。大崎先生が学校に戻ってくることはなかった。結論から言えば、彼は職場を放棄し、学校から逃走した。そして、数週間行方不明になり、埼玉の友人の家にいることが確認された。しかし、どうしてそのようなことになったのか、我々教職員に詳細を説明されることはなく、クラスの子どもたちや保護者もその詳細が分からないまま、新しい担任を迎えることになった。補足だが、彼の私物は両親が取りに来たということだ。
今思い出しても、あの下校間際の「軽い会話」が違和感として、私の脳裏に残っている。彼は深刻な状況にあったにもかかわらず、それを軽さで躱(かわ)そうとしたのは何故なのか。自分の切羽詰まった思いを押し殺し、表には「軽さ」だけを晒さざるを得ないというのはどういうことなのか。私があの時に感じた不可思議さは、彼のジレンマだったのかもしれない。
彼が逃走したということは、彼の「居場所」が学校にはなかったということだ。きっとある時を境に、教室にいる時も、職員室にいる時も、彼は居心地悪く過ごしていたのだろう。それはどこに原因があるのか今となっては分からないが、誰にも自分の思いを語れない、自分の悩みも自分の中にしまったまま出せない辛さを、きっと大崎先生は味わっていたにちがいない。それを周りにいる我々は感知できなかった。
自分が「そこにいて良いんだ」と思えなくなる。つまり、自分の「居場所」がなくなってしまったら、「その場から逃走する」ということも1つの方法かもしれない。三郎も大崎先生も自分の「居場所」を求めて逃走したのだが、またどこにいても、自分の居場所を見つけられなければ、また逃走を繰り返すだろう。今、子どもたちにも教師にも自分がいても良いと思える「居場所」が、学校にあるのだろうか。それは、大崎先生だけに限らない。子どもでも教師でも、誰であろうとも「居場所」が必要なのだ。
文:西岡正樹