「集中力」とは “好奇心” があれば無意識に発揮される力。大人になってようやく分かるファーブルのかっこ良さとは【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」4 〜集中力の正体〜
東大理三に入学するも現代医学に疑問に抱き退学、文転し再び東大に入る。東大大学院博士課程退学後はフランス思想を研究しながら、禅の実践を始め、現在「てらてつ(お寺で哲学する)」を主宰する異色の哲学者・大竹稽氏。深く迷い、紆余曲折しながら生きることを全肯定する氏が、「集中力の正体」を語るシリーズ。意識高いビジネスパーソンが求めてやまない「集中力」とは何か? 夏の虫取りをまた大人も経験してみたらいいかも。
◾️集中力がないビジネスマンは好奇心がないってこと?
そもそも、なぜ集中力が問題になるのでしょう?
そこには、わたしたちが無意識に前提としている状況があります。
与えられた仕事や課題が、退屈なのかもしれません。義務感はあるが決して楽しくない。キャリア・レースに勝つことが最優先。締め切りが迫っている切迫感。課題の目的や意義が実感できない。このどれもが、どうにもポジティブになれない状況です。
だから、そんな状況でも自分を奮い立たせるために「集中力」が要請されるのでしょう。
しかし、誰にでも自然に「集中」していた頃があったはずです。
わたしは田舎で育ちました。田んぼに囲まれていたため、たくさんの虫に出会いました。好奇心の向くままに、メダカにザリガニにタウナギを探しました。まさに時間を忘れて「集中」していたのです。「どうすれば集中できるか?」なんか、問題にもならなかったのです。
おそらく、みなさんそれぞれに固有の幼少期の体験があるのではないでしょうか。どれほど難しいことであっても、自らの好奇心に導かれていれば、退屈することも焦ることもないでしょう。
歴史に名を残した科学者たちは、まさに「好奇心」の塊でした。アインシュタインしかりニュートンしかり、レオナルド・ダ・ヴィンチしかりファーブルしかり。確かに、類い稀な好奇心ではあるのですが、それは彼らだけに与えられた天才なのでしょうか?
いえいえ、わたしたちの誰もがこの才能を与えられていたはず。子ども時代を思い起こせば、この事実を認められるでしょう。思い起こす材料がないのなら、周りの子どもたちを見てみましょう。どの子も好奇心の塊です。むしろわたしたちは、天から授かった好奇心を、成長とともに鈍らせてしまったのです。
虫好きのわたしにとっては、ファーブルはお手本でした。彼の著作『ファーブル昆虫記』は有名です。しかしこれを読み果たした人は少ないのではないでしょうか。なんせ、原書 《Souvenirs Entomologiques》は全十巻、岩波文庫日本語訳でも全十巻、集英社文庫では全二十冊に及ぶ超大作。読破の難易度は相当に高いでしょう。虫に関心がなければ、これを読まされることは苦痛になるでしょう。しかし、虫への好奇心に導かれれば、この超大作はご馳走になります。