チェスでヒトラーに抗した男【緒形圭子】「視点が変わる読書」連載第1回
「視点が変わる読書」連載第1回「チェスでヒトラーに抗した男」〜『チェスの話 ツヴァイク短編集』大久保和郎 他訳
時代は乱世です。何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみませんか? いえ、あなたの人生を変えてしまうかもしれない・・・「視点が変わる読書」連載第1回、「チェスでヒトラーに抗した男」。シュテファン・ツヴァイクの『チェスの話』を紹介しましょう。逆境にあっても自分を見失わず、抗って生き抜くヒントがここにあります。
「視点が変わる読書」第1回
チェスでヒトラーに抗した男
『チェスの話 ツヴァイク短編集』大久保和郎 他訳
史上最年少で名人・七冠となった藤井聡太の活躍で、世の中の将棋への関心が高まっている。かくいう私も、対局の棋譜を見たり解説を読んだりして、そこに展開される深い思索の一端に触れたいと思うようになった。
当たり前のことだが、将棋は一人ではできない。二人の棋士が、それぞれに相手の意図を推量し動きを封じ込めようとしながら、相手の王将を取るべく自分の駒を動かしていく。その戦いが人間をより深遠な世界へと誘うのだ。
将棋の起源は古代インドの遊戯「チャトランガ」だとされる。駒を使って相手の王様を攻めるチャトランガは初め四人制だったがやがて二人制となる。それが中国に伝わって「象棋」、日本に渡って「将棋」、ヨーロッパに伝わって「チェス」になった。
チェスは16世紀頃に今のルールが完成した。1886年から公式のチェス世界選手権が行われるようになり、世界チャンピオンも誕生した。世界選手権の賞金は高く、今年4月、カザフスタン共和国で開催された世界選手権で優勝した中国の丁立人は110万ユーロ(約1億4,900万円)を手にした。ちなみに日本の将棋タイトル戦でいちばん賞金が高いのは竜王戦で4,400万円である。
ただ多彩なゲームが氾濫する現在、チェスの古臭さは否めない。チェスを支えているのは日本の将棋と同様コアなファンであり、その人気は下降線の一途を辿っていたのだが…2020年以降アメリカでチェス愛好者が急増し、チェス・ブームが起こっている。火付役は、Netfrixが2020年10月から配信したテレビドラマ『クィーンズ・ギャンビット』である。
このドラマは養護施設育ちのエリザベス・ハーモンという少女がチェスの才能を発揮して世界チャンピオンになる成功譚だ。伝統的に男性のものだったチェスの世界で女性がのし上がっていく痛快さが受けて、ドラマがヒットするや、店頭からチェス・セットが消えた。そしてドラマ熱が落ち着いた今でもアメリカのチェス熱は冷めていないという。
さて、『チェスの話』である。
この本の作者、シュテファン・ツヴァイクの名前を聞いて反応できる人は恐らくかなりの文学通だろう。
ツヴァイクは両大戦間で最も成功した作家の一人である。1881年、ウィーンの富裕なユダヤ人工業家の家に生まれ、早熟の詩人として出発。劇作を試みた後に小説に転じた。得意としたのは伝記小説で、『三人の巨匠(バルザック、ディケンズ、ドストエフスキー)』、『ジョゼフ・フーシェ』、『マリー・アントワネット』などの代表作はいずれもベストセラーとなり、その売れ行きは同時期に活躍したノーベル賞作家トーマス・マンの本の比ではなかった。
彼の伝記小説の魅力は、まるで当人から聞いてきたかのような心理描写にあった。歴史的状況を心理描写によってドラマティックに盛り上げた物語が大衆に受けたのだ。
かつて日本でもツヴァイクの小説は読まれていて、みすず書房からは全集も出ているが、最近ではとんと読まれなくなった。代表作のいくつかはKindleにも入っていて文庫で入手できるものもあるが、話題になることは滅多にない。しかし、実は日本人の多くは知らないうちにツヴァイクの作品に触れている。何故なら、池田理代子の『ベルサイユのバラ』はツヴァイクの『マリー・アントワネット』を下敷きにして書かれているからだ。
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