ヘーゲルの「弁証法」で考える日本の退化
齋藤孝さんの新刊『使う哲学』より、日常で使える哲学の思考法を伝授します。
日本は、1970年代に「一億総中流」と呼ばれる時代を迎えました。この頃は、私の家も周りもどんどん豊かになっていくことを私自身、実感しながら過ごしていました。
しかし今、日本では、中流よりも下にいると実感している人がずいぶん増えました。多くの富をごく一部の人が持つ傾向が70年代、80年代よりも今は強まりました。
リストラという名の解雇が横行されて、派遣社員やパート、アルバイトといった、低賃金ですむ人員を多用し、人件費を抑えるような会社が増えたことが背景にはあります。
かつて日本の累進課税率は著しく、そのことが経済格差を抑える役目を果たしていました。莫大な所得があっても、多額の税金を納める仕組みがあったため、大金持ちが生まれにくい社会でもありました。
しかし今は、税制も変わり、所得税の累進課税率もかつてよりだいぶ緩和され、格差は広がる傾向が続いています。さらに、タックス・ヘイヴン(租税回避地)を活用して、納税を逃れようとする企業や経営者まで出てきています。
松下幸之助氏など、かつての経営者は自分や自社の利益だけでなく、日本人全体、社会全体のことを考えて、経営にあたっていました。そして、多くの税金を納めることは喜びであり、誇りでもありました。今、そのように考える経営者はどれぐらいいるでしょうか。
一億総中流の時代には、男女とも20代で結婚するのが一般的でしたが、その後は晩婚化が進み、最近では非婚化現象も進んでいます。「結婚しない」という意志を持って、結婚していない人もいるでしょうが、経済的に自立できないために「結婚できない」人たちも大勢いる現状があります。
少子化なのに、保育所(保育園)には入れない「待機児童」の問題も起きています。高齢者にお金を給付するといった政策がなされることがありますが、そのお金を保育所をつくることに回せば、保育所不足はほぼ解決するはずです。しかし、高齢者から「私たちは要らないから、子育てに使ってくれ」などという動きがなかなか出てきません。