「哲学」によって学校を再生しようとする試み 映画「ぼくたちの哲学教室」を観て考えた【西岡正樹】
■映画「ぼくたちの哲学教室」から見えた教師像
15席しかないミニシアターは、映画の中に入り込むにはちょうどいい。まじかにあったスクリーンは、いつの間にかなくなり、私は北アイルランドのベルファストにいる。そして、カソリック教徒の居住区域側にあるホーリークロスボーイズ小学校の中にいるのだ。そう思えたのは、ホーリークロスボーイズ小学校の中で起こる様々な出来事は、日本の小学校で、私が日々目にしている様々な出来事と、ほとんど変わることがなかったからだ。
しかし、その様々な出来事に対するホーリークロスボーイズ小学校の教師たち、とりわけケビン校長の対応には、私たち日本の教師がどこかに置き忘れてしまったものを、見せつけられたような気がしてならなかった。ケビン校長は、学校で起こる様々な問題を子どもたち自身が「哲学的思考」と「対話」によって解決することができる学校になることを願い、教師、子どもたちと共に挑戦してきた。この映画は、その日々を追った記録映画なのだ。
映画を観終えてミニシアターを出ると道路は濡れていた。にわか雨が降ったようだ。光るアスファルトを眺めていると「自分の弱さ」が、浮かび上がる映像のあちこちに浮かんできた。そして、数か月間外国をバイクで旅した時と同じように、「自分の至らなさ」を思ったのだが、さらに頭の中に蘇るひとつひとつの場面を目にしていると、「ケビン校長の中にある〝矜持〟を我々日本の教師は失っているのかもしれないな」と思った。
彼の行動を見ていると彼が「どのように生きようとしているのか(生きざま)」、「何を大切にしているのか(信念)」、「子どもたちをどのように育てようとしているのか(理念)」、そして、「何をめざしているのか(希望)」が、明確に伝わってきたのだが、果たして、日本の教師はどうだろうか。教師の生きざまがにじみ出ていることが良いか悪いかはさておき、そういう教師はなかなか見当たらない。
ベルファストは1969年から2001年までのおよそ30年間、領土問題や宗教対立による紛争地域として、多くの犠牲者を出した。また、ベルファストは、30年以上に渡り、カソリックとプロテスタントが「平和の壁」で分断されていたが、今も街には「平和の壁」の一部が存在している。1998年の「ベルファスト合意」以降、平和は曲がりなりにも維持されているようだが、今尚過激な組織は存在し、若者たちを取り巻く状況は不安定なものだった。
そのような状況の中で平和を維持することの難しさは、ホーリークロスボーイズ小学校の授業における子どもたちの様子や教師の言葉の端々からも窺い知ることができる。