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ミニマリズムの買い物心理

「最小限主義の心理学」不定期連載第1回

夏服を買わなくては…。

 

 

夏になった。

明るい季節に、私の服はすべてインディゴで、靴は黒い。

外で履く唯一の靴は、トレッキング用なので靴底が減ってしまっている。

 

白い靴を買おう。と思った。

夏だし。

物を少なく、と考えて生きている私なので、何かを買うのはちょっとしたイベントだ。

それほど頻繁に靴は買わないから。

 

白のスニーカーなら、もう本当に安い靴でいい。無印でもギャップでもオルドネイビーでもいい。

吉祥寺はそういった店が小さいエリアに集中しているので、探すのも楽だ。

最終的に、日本撤退が決まったオルドネイビーでぴったりのものを見つけた。

色はライトグリーンだった。

 

撤退が決まっているせいか、店内の商品はとにかく安い。

私は今、パンツは2枚体制だが、夏用にもう一つ、短パンがある。

その中間の丈で、少し明るいブルーのパンツがあったので、買った。

いつ店が閉店するのかわからないし、安いし…と。

 

家に帰ってから思った。

靴下が、冬用しかない。

これでは、丈の短い新しいパンツも短パンも履けない。

去年の夏はあったけど、全部捨てた。

 

翌日、カンカン照りの吉祥寺を子どもを連れて、無印、ギャップとまわったけれど、なぜか27cm(私は28cm以上)までしかない。

仕方なく買ったけど、家で履いたら圧倒的に小さかった…。

 

それに、少し明るい色のパンツに、少し前に買った明るい夏用ショートスリーブのシャツが、合わない。

インディゴで統一して、何の問題もなく、コーディネイトに悩むことなく過ごしてきたわけだけど、この「合わない」という感じは、久しぶりだ。

 

これには、白シャツしかないと思う。

それか、もう少し上等なインディゴ系シャツ。

翌日、娘(事情があって一週間保育園お休み中)と行ったパルコで、私はインディゴ系シャツを買っていた。

買い物ばかりしている。

季節の変わり目に、私は服が必要となっているのだ。

そして、靴を買いに行ったのをきっかけに、次々とアイテムが増えた。

買い物はこれくらいで済むだろうか。

白シャツも必要な気がする。

帽子もない。田植えやキャンプですでに私の肌は黒い。

 

「捨てる」と「買う」には、同等の価値があると思う。

どちらも、何かを変えるからだ。

捨てることで毎日の何かが変わり、買うことで同じように何かが変わる。

だから、買うことで夏に向けて好きな格好が出来るのはいい。

冬前に夏服を捨ててしまったのだから、そもそも買うしかないのだ。

 

でも、何か気持ちがもやもやとしているのは、組み合わせで悩んでいるからだ。

悩んで、さらにアイテムが必要になっていく…。これも嫌。

 

先月、対談で女性の方に「いろんな色のある服から、毎朝組み合わせを選ぶのは大変じゃないですか?」と質問をした。

本心だ。私も一色追加するだけで、こんなに鏡の前で呆然とする。

 

競争からは下りた

 

なぜ、服を着るのか。

それは、体を隠すためだ。

寒かったら、温かくするためだ。

 

次に、着飾るためだ。

自分を美しく魅せるため。

 

私の高校は私服だった。

最初はお洒落にしようとするかもしれないが、少しずつ家着みたいになっていく。

校舎の中では誰も気づいていないが、街に出るとわかる。

 

美大予備校で美術家を目指すものたちは、当時の話だが、それほどお洒落じゃない。

個性を出そうとして、おかしくなる。

美大に入ると、社会のお洒落との兼ね合いも考えながら、お洒落になっていく。

「お洒落でなくてはならない」という暗黙の了解もある。

 

私は私で、当時流行っていたスーパーモデル・カルチャーが好きで、新宿伊勢丹で開かれていた写真家ロバート・メイプルソープの個展に行ったりしていた。必死にファッションの坂を登ろうとしていた。

 

でも、疲れていた。

所詮、センスがない。

私はその後、沖縄の離島久米島に辿り着き、海水パンツとサンダルの生活を始めた。

ファッション競争から下りたのだ。

 

それは本当になんというか、楽だった。

 

最小限主義は意識して服を少なくするが、久米島では意識しなくても服はなかった。

数枚シャツとダイビングスーツ、サーフィン用のラッシュガード、海水パンツ。

そして仕事用の制服。

 

服の量が最小限になり、競争から下りてマキシマムなファッション情報もミニマライズした。

まわりの人たちも、私の服装なんて何も気にしない。

 

今は、「お洒落をしない人を見下す人」の中に入れば、見下されているかもしれない。

でも、私のほうはそんなことさえ考えない。

ただ、自分のイメージを自分のために表現したいという気持ちがあり、それは競争とはまた違った心理だ。

どういう毎日を自分が過ごすか。というイメージを作り上げるため、という感じか。

 

結局、街で暮らしながら、久米島のような格好はできない。

島では本当に上半身裸で生きている人もいるし、観光客は水着で歩いている。

そんな雰囲気を、吉祥寺は持ち合わせていない。

 

「こういう格好をしたい」と考えているだけで、違う。

久米島は毎日バカンスのような土地で、私は生活に合う格好をしていただけだ。

でも今は、「毎日ピクニックのような格好をしたい」と思っているのだから、少し意図がある。

 

ただし、競争に下りたことに違いはない。

壁がボロボロの廃屋のようでも、室内が美しければいいというタオイズム・禅の考え方にも似ている。

自分がどう感じるかが大事なのだ。

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沼畑 直樹

ぬまはた なおき

ミニマリスト。テーブルマガジンズ代表。元バックパッカー。

2013年、「ミニマリズム」「ミニマリスト」についての記事を発表し、佐々木典士氏とともにブログサイト≪ミニマル&イズム(minimalism.jp)≫をたち上げる。 著書は、小説『ハテナシ』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』(Rem York Maash Haas名義)など。


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