甲子園優勝校の監督が現職の小学校教諭とは!? 慶應高校の選手たちから見えてくる「主体的・対話的な深い学び」【西岡正樹】
◾️「主体的・対話的な深い学び」をするための最低限の条件
日本の小学校では、ようやく「主体的・対話的な深い学び」というスローガンが掲げられ、授業においても子どもたちが自ら主体となり、考え、判断し、行動(表現)することが求められていますが、森林さんが慶應高校の野球部の選手たちに求めていることは、正(まさ)しく「主体的・対話的な深い学び」です。
「主体的・対話的な深い学び」は、自らを見つめることで、課題を見つけ、その課題克服のために何をどのようにすればよいのかを考え、その解決に向かって行動していくことです。また、それを一人ではなく、協働的に行っていく。きっと、慶應高校の野球部の練習や試合でも同じような過程が見られ、その過程で選手同士が対話し、監督やコーチと話し合い、助言やサポートを受けることも度々あるでしょうが、そのすべての活動の主体は選手一人ひとりなのです。
慶應高校の選手たちの行動を見ていると、教師としての問いが生まれてきます。
「教室や授業において子どもたちを信じ、子どもたちが主体的に活動できるように、子どもたちの思いや考えを尊重しているだろうか」
きっと子どもたちは分かっているのです。自分がどれだけ先生に信じられているか、信じられていないのかを。
「先生はどうせ自分の考えと違っていれば、私たちの考えを変えさせるんだろう」そんなことを子どもが思うような教師と子どもの関係では、子どもは決して「主体」にはなりません。教師に従属するだけです。先述した森林さんの言葉の中に「試行錯誤して最終的に自分で摑んだものが真の力になる」とありましたが、それは、子ども自身が主体として動いて初めて得られる力であり、「喜び」なのです。