AV出演で私が何百枚と交わしてきた「契約書」や「出演同意書」のことについて【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第18回
【なぜ私は契約書をすべて大事に保管しているか?】
さて、私の話に戻すが、紛失や焼失を恐れて、一度全てデジタル化するか、そこまでしないまでも出演順にデータをまとめるかしようとしたことがある。しかしながら、いかんせん膨大な量のため途中で諦めてしまった。数年たった今でも大事に取ってある理由は、思い入れがあるからなんかじゃない。いつか作品の権利契約が切れた瞬間にすべての作品を削除するためだ。そのためにずっと保管してある。
「作品を消す」と表明すると、なぜかネガティブな方向の意見が寄せられることが多い。発売してからすぐならまだ理解ができる。そうではなく、発売してある程度の年数が経過して、かつ何度もセール価格10円、100円といった叩き売りを繰り返して、どう考えても “お得に買える機会” に何回も遭遇している状況で、なぜか「買えなくなるのは困ります」と言ってくる人たちが一定数存在する。これに関しては、その時に買わなかったのが悪いとしか言いようがない。
これよりも悪質なのは「作品を消すなんて。女優としての誇りがないのですか」という言葉である。つくづく思うのだが、「誇り」とか「好きな仕事」という言葉で本来持つべき権利や何かに異議を唱えようとする行為を封じ込めようとするのはなぜなのだろうか。
作品に出演する自由があるのならば、当然作品の発売を差し止める自由もあるはずだ。確かに「AV女優だった」という事実は何年たっても変わりはしないが、身も心も永遠にAV女優のままではない。引退した瞬間に芸名の〇〇ちゃんというのは誰かの記憶の中では生き続けるが、実体としては消え去るのだ。