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おかえりなさい、名松線

ローカル線6年半ぶりの全線復旧、その後

 災害の影響で6年半も一部区間が不通になっていたJR名松(めいしょう)線(松阪~伊勢奥津、三重県)。2016年3月26日、北海道新幹線が開業した同じ日に全線復旧し、再び列車が終点伊勢奥津駅に発着するようになった。すぐに訪れたかったのだが果たせず、ようやく6月になって乗りに行くことができた。

 近鉄とJR紀勢本線が乗入れる松阪駅の5番線から名松線の列車は発車する。たった1両だけのディーゼルカー。車両の中ほどが4人向い合せのクロスシートになっていて、それぞれの4人席を1人で占拠できるくらいの乗車率であった。平日のお昼過ぎだったが、誰も乗っていない4人席がないのは幸いである。列車は、定刻にゆっくりと松阪駅のホームを離れた。

 紀勢本線の線路とかなりの間並走し、やっとの思いで分かれて、広々とした田園地帯の中を走る。近鉄大阪線の川合高岡駅と至近距離にある一志駅を出て、次の井関駅を過ぎ、トンネルを抜けると、車窓右手に雲出(くもず)川が現れる。これより終点の伊勢奥津駅まで車窓の右に左に見えつつ名松線の旅の友となる川だ。

家城駅で行き違う列車

 進むにつれて、次第に線路の両側に山並みが迫ってくる。松阪を出て37分で家城(いえき)駅に到着。名松線の中で唯一の列車すれ違いのできる駅だ。ここで13分も停車する。気分転換にホームに降りてみると、駅員さんがいて、運転士からわっか状のものを受け渡ししている。スタフ閉塞と呼ばれる「通行手形」で、今も見ることができるのは、ごくわずかな路線しかない。先に到着していた松阪行きの列車が出発するのを見送り、しばらくして列車はやっと動き出した。ここからが、6年半ぶりに運転再開した区間である。

おかえり名松線の横断幕

 いよいよ山が迫り、谷あいの渓谷を列車は足元を確かめるようにゆっくりと進んでいく。列車は美杉町に入る。車窓左手の民家の壁には、「ようこそ、美杉町へ。祝、おかえり名松線」の横断幕が掲げてある。交通不便な地区だけに、名松線の運転再開は喜びをもって迎えられているようだ。渓谷となった雲出川が車窓からよく見える。予想以上の絶景路線だ。断崖絶壁の下を恐る恐る通ると、ところどころ線路際の崖を修復した跡がある。再び土砂崩れが起きることのないよう、工事をしたのだ。

 伊勢鎌倉駅と伊勢八知駅との間には、やや古びたリゾート施設がある。車窓から見ると、人の気配がない。観光のオフシーズンだからだろうか?名松線とうまくタイアップして集客すればいいのだが・・・。

名松線比津~伊勢奥津間の前面展望

伊勢奥津駅に残る給水塔

 

 伊勢八知駅から先の車窓はとくに見ごたえがある。落石防止を兼ねたようなトンネルもあり、線路の脇を流れる雲出川も大小の石がごろごろしていて、思わず見とれてしまう光景だ。渓谷を経て、杉林の中を抜け、谷あいの集落に差し掛かると、松阪から1時間20分ほどで終点の伊勢奥津駅に到着。名松線とは山を越えて名張と松阪を結ぶ構想のもと付けられた名称だったが、果たさぬままここで線路は途切れてしまった。車止めの脇には、かつて蒸気機関車に水を補給した給水塔が苔むした姿をさらして残っている。今や貴重な鉄道遺産だ。

 役所の出張所が入った建物の一部が駅舎となっていて、隣にはお土産や休憩できる建物もある。駅の玄関にも「おかえりなさい、名松線」の暖簾が目に入った。「列車がやってくると、町に活気が戻ってくるなあ」という地元の人の声が聞こえてきた。

 30分程滞在して列車で折り返す。発車間際に、役場の女性職員二人がホームにやってきて、手を振って見送ってくれた。プラカードには「ありがとう、また来てなぁ」の文字。復活おめでとう、名松線。よかったね、美杉町。今度はゆっくり滞在するよ。

また来てなぁ

野田 隆

のだ たかし

1952年名古屋生まれ。日本旅行作家協会理事。早稲田大学大学院修了。 蒸気機関車D51を見て育った生まれつきの鉄道ファン。国内はもとよりヨーロッパの鉄道の旅に関する著書多数。近著に『ニッポンの「ざんねん」な鉄道』『シニア鉄道旅のすすめ』など。 ホームページ http://homepage3.nifty.com/nodatch/

 

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