「女尊男卑」批判が目指すものは
まぎれもなく男女平等社会である
「レディースデイ」にみられる女性優遇サービスの本質的な問題はなんなのか!?
男性優位の社会で女性が貶められることを「男尊女卑」などというが、逆に男性が貶められ女性優位の社会であるということを指して「女尊男卑」なんて言われたりもする。
その女尊男卑の1つの分かりやすい典型例が、映画館などに設定された「レディースデイ(以下LD)」の存在である。これを考えることで、女尊男卑の何が問題であるかを確認していきたい。
LDの話題が登ると、必ずといっていいほど「それは女尊男卑ではなく、商売的な理由にすぎない」という反論が出てくる。しかし本当にそうなのだろうか?
一説によるとLDの起源は、1980年代ごろデパートの定休日に主婦が外出を控えてしまい、映画館の売上が落ちていたため、割引サービスを始めたこととされている。また、女性は家計を握ることから価格にシビアであり、割引サービスの効果が男性に比べて大きく宣伝効果も高いとされている。
この当時はまだ、平日の男性は会社で働いているものだったし、仕事を持たない専業主婦も多かった時代である。その時代に女性をターゲットに宣伝を行ったのは確かに正しかったのだろう。しかしそれはイコール「男性は仕事、女性は家庭」という性別による性的役割の存在を商業的観点から肯定、後押しし続けていることになり、性的格差が解消されつつある2010年代においては古臭い宣伝手法ではないだろうか。
もし本当に女性が価格にシビアで、割引サービスの効果が高いのであれば、性別を問わず「水曜日は割引」にしてしまえば良いはずだ。女性に限定せずとも結果として女性が多く集まり、LDと同じ効果が得られるはずである。
それに対しても「女性が映画に来る場合はカップルが多い。男女ともに割り引いてしまうと、収益への影響が大きい」という反論が来るかもしれない。しかし、それもまた「カップル=男女ペア」という固定観念による差別的な見方に過ぎない。今や男性同士や女性同士で買い物や旅行を楽しむことも珍しくなく、また恋愛関係であるとしてもLGBTの存在が社会的に認知される中、そうした考え方は古臭いと言える。
こうして考えるに「女尊男卑」の問題であると見えた女性に対するLDという優遇には、実はむしろ女性差別や性的マイノリティ差別という側面が含まれているのである。
■「女性が弱い立場である」という前提の上での女性優遇こそ女性差別
女尊男卑の存在を問題にすると、必ずといっていいほど「男女平等に対する反発」という理解の仕方をされてしまう。しかし、女尊男卑だとして問題にされる物事は「女性が弱い立場である」ということを前提にした施策であることが多い。例に出したLDも「女性が専業主婦であり平日に映画を見られる=女性が仕事で活躍できない社会」を前提にした施策と言える。こうした男女不平等に寄生した施策を男性側の観点から批判する中で、徐々に言われるようになったのが「女尊男卑」という言葉であり、女尊男卑批判が目指すのは紛れも無く男女平等社会なのである。