「国防に歯止めをかける」とは一体どういうことなのか!?
いま誇るべき日本人の精神 第3回
国を人体にたとえれば、国外から蒙っている脅威は疫病と同じものだ。
杉田玄白といえば、江戸時代後期の蘭方医学の先駆者で、『解体新書』と『蘭学事始』によって有名だが、著作『形影夜話』(一八〇三年)のなかで、医が兵法とまったく変わらないと、論じている。
玄白は「孫呉(孫子、呉子)の兵法を知らざれば軍理は立たぬ。医も形体(かたち)詳(つまびらか)ならざれば、医理は立たざる事と知らる」と戒めて、医術も、その時々に変わる状況の形体(かたち)に合わせて、柔軟に兵略を立てるのと同じことだといって、医術と兵法の共通点をとりあげて、詳述している。
玄白の時代から、世界のありかたも、病いを恐れるのも、変わっていないはずだ。
■自分の行動に「歯止めをかける」というおかしな日本語
いま、私たちはアメリカの意志力が衰えているなかで、中国の切実な脅威を蒙っている。
疫病が日本の岸まで、迫っている。安保関連法案は、杉田玄白が説いたように、防疫体制を強化するものだ。
国会では安保法制をめぐって、不甲斐無い論戦がたたかわれていた。不甲斐ないはいくじがない、気概、気力に欠けているという意味だ。
民主党や、維新の党などの野党はまだしも、連立与党であるはずの公明党までが、日本の防衛を強化しようという熱意を欠いて、国防に当たる自衛隊の活動に「歯止めをかけなければならない」と、力み返っていたが、どうしたことかと、思った。
戦後七十年にわたって、アメリカによる軍事保護を天与のものだと錯覚して、思考能力が損われるようになったのだろう。
公明党も国語能力とともに、思考能力が低下してしまっている。しっかりしてほしい。
「歯止めをかける」という時には、相手の行き過ぎた行動を、とどめようとして用いられる。
夫が酒や、女に溺れているのに対して、妻が夫の遊蕩に「歯止め」をかけようとするのなら分かるが、夫が自分の行動に歯止めをかけるとはいわない。
国会は異常な軍備増強と領土の拡張に狂奔している中国に、どのようにしたら「歯止め」をかけることができるか、論じるべきではないか。
中国はかつての中華大帝国の覇権の復興を、呼号しているのだ。安保法制は中国の冒険主義に、歯止めをかけようとするものだ。