プロレスラー関根“シュレック”秀樹 “魂の叫び” 「最後のパワーを振り絞って君は立ち向かったか?」【篁五郎】
あなたが出会うことがなかった人生がここにある。
■ 「柔道の亜流」と思っていた柔術をなぜ始めたか?
プロレス・格闘技好きの関根が柔術を始めたのは、思わぬ理由からである。
「当時の自分はマル暴担当の刑事として、それなりに情報提供者もいて結果出していたんですよ。でも、その時の上司に意地悪されて外国人組織犯罪の部署へ異動させられたんです。浜松は結構外国人犯罪が多くて、新しく部署ができて自分が行かされたんですね。その上司はパワハラで退職するような人でした。そんな人に異動させられたから悔しかったんですけど、そこで腐らずに情報提供者を探すために柔術始めたんです」
関根が当時捜査していたのはブラジル人によるカーナビの窃盗だった。盗んだカーナビを暴力団が買い上げてオークションで売りさばいていたという。そこで犯人の足取りを掴むためにブラジリアン柔術を始めた。自分の憧れである高田延彦を破ったヒクソン・グレイシーはブラジリアン柔術の達人。仇討ちのような気持ちはあったのだろうか。
「浜松は元々柔術が盛んで、自分も地元の先輩からずっと誘われていたんです。でも、柔道が一番だと思ってました。柔術は柔道という本流から枝分かれしたものって頭があったんです。しかも高田さんや船木(誠勝)さんを倒したヒクソン・グレイシーは嫌いでしたし、ブラジリアン柔術も嫌いでした。でも強さはわかっていたので、情報も取れるし、これを機会に始めてみようというのが最初の気持ちです」
柔術始めた関根はわずか4カ月で大会に優勝。2009年には浜松で総合格闘技デビューをするほどの成長を遂げた。そこから彼は柔術にのめり込み、警察官と総合格闘家としての活動をスタートさせる。
■巨人症だとわかって最初は嬉しかった理由
関根は警察官としての職務を全うしながら、試合にも出場して連勝し続けた。マスクを着用し、素顔を隠して試合をすることもあった。一方で彼の肉体は若い頃から思わぬ変化が起きていたという。
「38歳のときに下垂体腺腫(巨人症)の手術をしたんですけど、医者に珍しいって言われるくらい腫瘍がパンパンに大きくなっていたんです。手術も3時間で終わるところ1日かかりました」
下垂体腺腫(巨人症)とは成長ホルモンの分泌に関わる下垂体という器官のなかで、前葉と呼ばれる部分から発生する腫瘍の病気である。成長ホルモンが過剰に作られてしまい、高血圧や糖尿病をきたしてしまう。また発汗が多くなったり、動悸が起きたりもする。
「自分の場合は、高校生の頃から筋肉が付きやすかったり、人より飯を食べたくなったりしていました。人間がご飯を食べると眠くなるのは、血糖値が上がって大量にインスリンが出てくるからです。人は栄養を吸収するときに眠くなるんですけど、自分の場合は、成長ホルモンがドバドバ出ていたせいでインスリン抵抗性といってインスリンが効かなくなる状態だったんです。
だから血糖値が高いままなので常に眠い状態だけどお腹が減ってくる。どんなに食べても眠い。これは糖尿病の症状なんです。満腹まで食べてもすぐお腹減っちゃう。そのせいで意識がブラックアウトみたいなことが起きます。自分は若いときから急に耐えられないくらい眠くなることが結構ありました。機動隊にいた頃も居眠りして先輩にぶっ叩かれてましたね」
自分で体の変化に気がついて、ネットなどで色々と調べたそうだ。それで「自分はもしかしたら巨人症かもしれない」と思ったという。しかし彼は気づいていながらすぐに治療をしなかった。
巨人症はすぐに治療をすれば命にかかわるようなことはない。10年生存率はほぼ100%と言われている。ただし、種類を問わず腺腫が3~4cmと大きいもの、成長ホルモンないし副腎皮質刺激ホルモン分泌性腫瘍で治療後もホルモン値が正常化しなかったものついては、合併症によって不自由な生活を強いられるという。なぜすぐに治療を受けなかったのだろう。
「天然のドーピングだなと思ったんです。自分はキン肉マンが好きで超人になりたかった。鍛えれば鍛えるほど筋肉がついていくので人を超えられるかもって喜んでましたね」
そうしてどんどんと筋肉とともに体重が増えていくが、とうとう肉体が耐えられなくなった。
「糖尿病がひどくなってしまい、ある日当直明けに立てなくなったんです。それで救急車呼んでもらったら即入院。家にも帰してもらえませんでした」
手術で腫瘍は全部取り除き、現在は毎月2回血液検査をして、「チラージン」という薬を飲んでいるそうだ。