セックスと小さな死……私は自分の肉体に対してどう接してきたか?【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第22回
【生殖を目的としない、数えきれないほどの射精】
セックスをすれば一定の確率で妊娠する。それは義務教育で保健体育を履修した誰もが知っていることで、それぞれの状況に応じて、その確率を下げようと手段をとったり、むしろ逆に確率を上げようと手を尽くしたりする。
私は初めてセックスをしたあの日から今日にいたるまで、きっと普通の人と比べると多くの人と関係を結んできた。人数で計算しても相当だが、射精された回数で考えると、数えることを途中で放棄するのが妥当というくらいの数だ。そしてその大半というよりもほぼ全てが生殖を目的としていない射精であった。
よくよく考えると、その回数分だけ形になるはずだった何かを殺してきたのだと思ってしまう。ただ、形になる前のものだから深く考えたことはないし、現実として形にならなかったという事実を自分自身の間から流れてくる血を見ることで理解をし、むしろその血を見てどうしようもなくその死が嬉しくて安堵してしまうのだ。
それは避妊を失敗した恐れなどは関係なく、毎月の儀式みたいなものだ。でもそれは決して一回限りの相手や仕事相手、きちんと関係性を築いているパートナーにさえも話したことがない。同じくらいの不安感や責任感を持って、この奇妙な安堵感やそこに至るまでの感情を共有できると思わないからだ。
もちろん何度か話したことはある。「まあそんなものか」と思ってしまう答えが返ってくるので話すことをやめた。それは年齢や責任を取れる取れないとかの問題ではなく、身体の所有者か否かで踏み越えにくい溝が存在していると思っている。それはもはや私が諦めているからなのかはわからない。セックスは二人の人間がいないとできないはずなのに、小さな死を感じるときは不思議なことにいつだって孤独だ。いつもそう思っていた。しかしながら、冒頭の作品を見て、そんなやるせなさを感じるのは私だけではないと感じて、正直なところ胸を撫でおろしてしまった。