話し上手と書き上手【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第5回
森博嗣 連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第5回
【話し上手は文章下手?】
少し話題が逸れるかもしれないが、話し上手、つまり受け答えが滑らかな人は、えてして文章が整っていない。逆に、文章が上手な人は、話し下手であることが多い。研究者の界隈では、文章上手が第一であるから、話し上手はさほど評価されない。考えてしゃべる人は、じれったいけれど、我慢して聞いていると、文章のような構文をしゃべろうとしている。話が長くなりがちだが、間違いが少なく、起承転結があり、黙って最後まで聞くと、ああ、そういうことがいいたかったのか、と納得できる。
ときどき、そういう人がテレビに出ると、司会者やインタビュアは話を最後まで聞かずに腰を折るから、なにを話しているかわからない結果を招く。テレビには向かないが、そういう人は、文章が上手である場合が多い。
逆に言葉が流れるように出てくるタイプの人は、じっくりと聞いていると、内容がない割合が多く、また文法も乱れている。だいたい、政治家に多い。政治家の演説を文章に起こしてみると、それがわかるだろう。ただ、こういう人が、対人で話すと説得力があるし、議論や口喧嘩にも強い。理屈ではなく、勢いが効くということらしい。
どちらが良い、どちらが優れている、という話ではないし、僕自身がどちらのタイプなのかもわからず書いている。自分のことはわからないものだ。ただ、強いていえば、話す方が苦手で、書く方が得意だった。それを補うために修正をした結果、今では逆転しているような気もする。その程度である。
人前に出ると上がってしまって、すらすらと話せない人もいるけれど、気することはない。大したハンディでもないし、逆に好印象だから、面接などにも向いているくらいだ。
これもまた話が違うけれど、吃音の人を数人知っていて、彼らは例外なく頭脳明晰で、頭の回転が速い。頭が良すぎるから、話すと言葉が滞ってしまうのかな、と思えるほどだった。だから、僕は話し下手の人を非常に好印象に捉える。
文章が下手な人というのは、頭脳明晰とはいえない。何故なら、文章というのは、推敲することができるからだ。時間制限内に競争して書くものでもない。タイピングの速い遅いなども価値はない。
最近の若者は、子供の頃から文章でコミュニケーションを取っているから、昔に比べると文章が上手い傾向にある。でも、文章が上手いのと、内容が良いのとは、また別である。当然ながら、文章の価値の九割は、その内容の価値である。