相模原障害者施設殺傷事件から着想を得た小説『月』(辺見庸著) その凄みと奇跡【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第5回 超感覚界からの使者
何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみませんか? あなたの人生が変わるきっかけになってしまうかもしれない・・・「視点が変わる読書」。連載第5回は、辺見庸の小説『月』を紹介します。
「視点が変わる読書」第5回
超感覚界からの使者
『月』辺見庸 著(角川文庫)
10月半ば、公開されたばかりの映画『月』を見に行った。
場所は新宿バルト9。13時からの回は入場開始直後は3~4割ほどの入りだったが、上映が始まる頃には約150の座席の8割が埋まっていた。若者も中年も老人もいて、男女比は同じくらい。秋晴れで麗らかな平日の午後に、けして心楽しくなるような内容ではないこの映画を見に来る人がこんなにいるとは! 注目度の高さが窺えた。
カップいっぱいのポップコーンを抱えて入ってくる人が何人かいて、驚いた。もちろん本人の自由ではあるが、この映画をポップコーンを食べながら見るのは私には無理だと思った。しかもそれが若い人でなく、身なりのいい良識のありそうな初老の紳士だったりするから余計に不思議で、もやもやとした気分のまま映画が始まり、作品を象徴するような三日月がスクリーンに映し出された。
映画の原作は辺見庸の同名の小説『月』。この小説は、2016年7月26日に神奈川県相模原市にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺人事件に着想を得て書かれた。
津久井やまゆり園の元職員である植松聖(さとし)〈当時26歳〉は、「意思疎通の出来ない重度障害者は社会には不要な存在であり、彼らを殺すのは日本のためである」という考えから、深夜、施設に侵入し、職員を結束バンドで拘束すると、寝ている入所者を一人ずつ包丁とナイフで刺し殺していった。殺された入所者は19人にのぼり、入所者、職員を含む26人が重軽傷を負った。
小説の主人公のきーちゃんは障害者施設の入所者である。性別、年齢は不明で、目が見えず、歩行ができない。上肢、下肢ともに全く動かず、一日のほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。発語が出来ず、体にひどい痛みを持ち、ときに錯乱し、悩乱する。
しかし、きーちゃんにもできることがある。離れた部屋の音声でも聞き取ることのできる優れた聴覚を持ち、自由闊達に思いをめぐらすことができる。小説はきーちゃんの想念として展開していく。
読み始めた時はかなり戸惑った。見た目はベッドの上の固まりでしかないきーちゃんが医師の言葉を聞いて、自分が「無欲顔貌」であることを認識したり、職員の話から園の周囲に生息するヤマカガシ、イエユウレイグモ、ミズカマキリといった生物に思いをはせたり、「わたしは無から生まれてきた。だからあたしは無だ」と自身を哲学したり、「戦争においては、現実を覆っていたことばとイメージが、現実によって引き裂かれてしまい、現実がその裸形の冷酷さにおいて迫ってくることになる」という、レヴィナスの言葉を引用したりするのだ。
こんなことはあり得るわけがないと思って読み進めるうちに、あり得なさが気にならなくなり、きーちゃんの想念に引き込まれていく自分に気づいた。
きーちゃんが入所している園にはさとくんという職員がいる。普通の明るい青年で、手作りの紙芝居で入所者たちを悦ばせたりして、園の人気者である。しかし、きーちゃんはさとくんの中に、自分たち障害者への殺意が芽生えていることに気づいている。
実際の事件が下敷きになっているので、救いのないラストが待っていることは分かっているのだが、現実の世界をも打ち砕きそうなきーちゃんの想念の強さと大きなユーモアに引っ張られるように読み進めることができた。
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