相模原障害者施設殺傷事件から着想を得た小説『月』(辺見庸著) その凄みと奇跡【緒形圭子】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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相模原障害者施設殺傷事件から着想を得た小説『月』(辺見庸著) その凄みと奇跡【緒形圭子】

「視点が変わる読書」第5回 超感覚界からの使者

 

◾️主人公のユーモアと作家の人間性

 

 このユーモアは作家の人間性に通じている。

 辺見さんと一緒に熱海に行ったことがある。『自動起床装置』で芥川賞をとった翌年だから、1992年だ。その頃、辺見さんは私が勤める出版社が刊行する女性誌に小説を連載していた。私は担当ではなかったが、辺見さんを囲む飲み会に同期のR子と一緒に参加したところ、私たちの乗りを気に入ってくれたのか、その後、三人で飲んだり、カラオケに行ったりするようになった。

 ある日、六本木のカラオケボックスで明け方まで三人で歌っていたら、突然辺見さんが「なんか熱海に行きたいなぁ」と言い出した。土曜日だったので、早朝、東京駅から東海道線に乗って熱海に行った。確たる目的があったわけではない。当時まだ営業していた熱海ロマンス座という映画館に入り、『勝利者たち』という映画を見た。ゲートボール日本一を目指す老人たちの奮闘劇と話は馬鹿馬鹿しいが、出演者は三國連太郎、ハナ肇、大滝秀治、司葉子、大原麗子と豪華で、意外に面白い映画だった。それから、昼から酒が呑める店をハシゴし、最後はスナックに辿り着いた。確か「ハチの巣」という名前だったと記憶している。その時、ママが撮ってくれた写真を見ると、やたらに嬉しそうな顔をした三人がカウンターに並んでいる。

 当時、私とR子は20代だったから、「若い頃はバカやったよね」と笑えるが、辺見さんはこの時、48歳である。まだ『もの食う人びと』の取材は始まっていなかったが、共同通信のベテランかつスター記者であり、注目の芥川賞作家でもあった。よくあんな馬鹿げたことができたと思う。

 強面の風貌とは裏腹に、辺見さんは茶目っ気があって剽軽な人だ。知の正道を極める一方で馬鹿馬鹿しいことに真剣になる。常日頃意味や意義を考えていると、そういうものから解放されたくなるのかもしれないが、本気でバカができるところがさすがだ。恐らくそうした馬鹿馬鹿しい行動の積み重ねが、世の常識を蹴散らす、生身のユーモアを形成しているのだろう。

 もしかしたら名前も関係しているかもしれない。辺見さんの本名は「秀逸」だ。お祖父さんがつけられたと聞いた。「秀逸」の意味は「他のものに抜きんでてすぐれていること」。重い名前を背負わされた辺見さんは、名前が示すのとは対極の方向に自分の世界を開いていったのではないだろうか。ペンネームの「庸」がそれを示している気がする。

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緒形圭子

おがた けいこ

文筆家

1964年千葉県生まれ。慶應大学卒。出版社勤務を経て、文筆業に。

『新潮』に小説「家の誇り」、「銀葉カエデの丘」を発表。

紺野美沙子の朗読座で「さがりばな」、「鶴の恩返し」の脚本を手掛ける。

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