相模原障害者施設殺傷事件から着想を得た小説『月』(辺見庸著) その凄みと奇跡【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第5回 超感覚界からの使者
◾️事件の渦中に身を投じる作家の覚悟と使命
映画を見て、何故辺見さんがきーちゃんの一人称で小説を書いたのかについて改めて考えさせられた。
堂島洋子のような、全体を客観視できる人物を登場させ、その人物の視点で書くこともできたはずだ。それをしなかったのは、津久井やまゆり園の事件を他人事ではなく、自分自身のこととし、事件の渦中に身を投じる覚悟をもって小説を書いたからに違いない。
当事者となると、殺害する側か殺害される側になる。殺害者の視点を選ばなかったのは、実際の事件の凶行が犯人一人のパーソナリティに起因するのではなく、今の日本社会の反映だと考えたからだろう。殺害者の心をいくら掘り下げても仕方がないと思ったのではないか。
残るは、きーちゃんの視点。目が見えない。歩行ができない。上肢も下肢もまったく動かすことができない。発語ができず、顔面も動かせない。ひどい痛みを持ち、ときに錯乱し、悩乱する。そうしたきーちゃんの内部に入り込み、人間らしいことが何一つ出来ないまま在り続けなければならない絶望、誰にも伝えることが出来ない痛み、それでも時折訪れる安息と希望……全てを自分のものとして、書ききったのだ。
辺見さんの好きな、パウル・ツェランの詩集『雪の区域(パート)』に「遊び時間(プレイ・タイム)」という詩がある。
そこには、不感無覚の超感覚界と現実界を言葉によって橋渡しをする使者が登場する。辺見さんはまさにこの使者に他ならない。
映画を見てから、ずっと気になっていることがある。私は何故殺害シーンを見たかったのだろう。
それはもちろん、凄惨な事件をどんな風に映像化したのか興味があったから、怖いもの見たさの気持ちに決まっている――そう自分に言い聞かせる自分がいる。
文:緒形圭子
※辺見庸さんのブログ「熱海」はこちら!
http://yo-hemmi.net/article/501303875.html
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「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」