江戸時代の人々に西洋博物学はどのように受け入れられてきたのか?
静嘉堂文庫美術館で「江戸の博物学~もっと知りたい!自然の不思議~」が開催
「博物学」という学問をご存じだろうか? この自然に存在するモノについて、幅広く研究する学問のことである。
東洋では、本草学(ほんぞうがく)として特に薬の分野で発達してきた。日本でも古くから中国の本草学を取り入れていたが、江戸時代後期の1700年代半ば頃から西洋の博物学がもたらされるようになり、その影響を受けるようになった。
※本草学…中国古来の植物・動物・鉱物を中心とする薬物学。
東京都世田谷区にある静嘉堂文庫美術館では、6月25日(土)から8月7日(日)まで「江戸の博物学~もっと知りたい!自然の不思議~」展を開催している。本草書の歴史をたどりながら、江戸時代の人々に西洋博物学がどうやって受け入れられてきたのか紹介する展覧会だ。
展示品の中から、注目の史料をいくつかご紹介しよう。
まずは、江戸時代の日本人による最初の本格的本草書『大和本草(やまとほんぞう)』。
撰者の貝原益軒(かいばらえきけん)が自ら観察、調査した1362種類の植物、動物、鉱物について記しており、漢文ではなく和文で記述している。それまで本草書として権威のあった中国の書物にとらわれることなく、実際の観察調査を重視する態度は、日本の本草書が中国渡来の本草書から自立し始めたことを示すという。
美しい色彩で描かれた『本草図譜(ほんぞうずふ)』は、日本で最初の本格的彩色植物図譜だ。
江戸時代の伝統的本草学の集大成ともいえるもので、撰者の岩崎灌園が自ら観察した植物約2000種を忠実に写生し、彩色を施している。完成までに費やされた歳月は、実に20余年。絵師に模写させた写本は予約者に配布され、井伊家、堀田家、田安家といった当時の多くの大名家が予約、入手したことがわかっている。
そして、これぞ「博物学」と言えるのが『日本創製銅版新鐫 天球全図』。太陽や月、地球などの天体から、雪の結晶、ボウフラ、蟻などの虫類まで、銅版画で制作した上に彩色を施している(一部木版を除く)。撰者の司馬江漢(しばこうかん)は江戸時代後期の洋風画家で、蘭学者。天明3年(1783)に日本で初めて銅版画(エッチング)の制作に成功している。
展覧会では、他にも興味深い史料が多数展示される。展示史料の中から見えてくるのは、いつの時代も変わらない“自然への探求心”だ。
会場/静嘉堂文庫美術館
(東京都世田谷区岡本2-23-1)
休館日/毎週月曜日(7月18日は開館)、7月19日(火)
開館時間/10時~16時30分(入館は16時まで)
入館料/一般1000円、大高生700円(20名以上は団体割引あり)、中学生以下無料
http://www.seikado.or.jp
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