救急車に2回乗せられた【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第6回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第6回
【点滴とか注射とかであった誤解】
今回の入院でも点滴を長時間受けた。点滴を知らない人はいないと思うが、ようするに血管に直接なにかを流し込む行為。たいていは、栄養補給であり、点滴を受けていれば、口から食べなくても生きていられるようだ(確信はないが)。
透明の容器に入った溶液が、高い位置に吊り下げられていて、そこから腕に刺さった針までチューブがつながっている。途中に流れを止めたり調節したりするコックがある。高低差が液圧となって加わるから、体内へ溶液が少しずつ流れ込む。一気に沢山入れると危険だから、時間をかけてゆっくり入れる。チューブの途中に少し太い部分があって、そこで一滴ずつ溶液が落ちるのを見られるようになっている。
さて、かつては点滴の溶液がなくなるまえに、ナースコールで看護師を呼ぶとか、自分でコックを閉めて流れを止めるかしたものだ。僕は子供の頃に何度か点滴を受けたから、そう指示されたのを覚えている。
ミステリィのトリックの本に、血液中に気泡を入れる、という殺害方法が書かれていた。空気が混入すると血液が凝固するからだそうだ。それが心臓近くで血流を止め、心不全を招くとあったように記憶している。この殺害方法を用いたミステリィ小説もあるらしい(読んだことはないし、どんな作品かも知らないが)。
最近は点滴慣れしてしまい、点滴中でも僕はすぐに眠ってしまう。そして、気がつくと溶液はなくなっていて、チューブの途中まで液面が下がっている。「おっと、危ない。死ぬところだった」と飛び起きるかというと、そうではない。
人間の血管中の血液には、心臓というポンプによって圧力がかかっている。これを「血圧」と呼び、普通は「mmHg」の単位で、脈動の範囲を高い値と低い値で示す。この単位は、水銀の高さで示される液圧であり、100mmHgならば、水銀を10cmだけ持ち上げることができる圧力だ。水銀の比重は13.6なので、水だったら、この13.6倍。血液は水よりほんの少し重いが、だいたい同じ。つまり、血液を1m以上押し上げる圧力になる。したがって、たとえ点滴の容器が空になっても、溶液がすべて血管へ流れ込むことはなく、チューブの途中で釣り合って止まる。ご安心下さい。
それから、血液に小さな気泡が紛れ込んだだけで死に至る、というのも事実ではない。詳しいことが知りたければ、ネットで検索すれば良い。
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森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。