「自分自身を大切にするとはどういうこと?」自分を軽んじ蔑ろにしてきた私が今語れること【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第27回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第27回。
【〝愚かな自分〟を愛しく思えるとき】
「自分自身を大切にすることが難問難関で。ただ自分の好きなことだけをやっていれば良いのでしょうか。そのあたりの考えについて読んでみたいです。」
数週間前の記事にこんなコメントがついていた。本当はリアルタイムですぐに返答する方が好ましいのかもしれないが、そんな大事な内容をSNS上の限られた文字数の中でぱぱっと簡略的に送り付けるのも失礼かと思い、何週間か考え込んだ果てに現時点の私の回答を記していくことにした。
そもそも私はずっと自分を大事にしてこなかった人間だ。その当時はそんなこと気がついてもいなかったが、振り返ってみるとかなり自分自身に対して適当な行いを重ねてきたなと感じてしまう。ここでいう適当な行いというのは、成長を見込めないことに対して必要以上の負荷や責任を自らに強いる行為や、自らのリソースを超えてまで手を広げすぎる行為などの、〈どこか自分の存在を軽んじて蔑ろにしている何か〉を指している。
よくある例を挙げるならば、私への負荷が物凄くかかる上に、爆弾ゲームのように誰もが「嫌だな」とたらい回しにしたものを耐え切れずに「…やります!」と言って引き受けすぎたり、自意識が不安定の時期にありがちだと思うが、恋人の中にアイデンティティの中心を求めて、必要以上に我慢したりしていた。
それらの中には本当にごく稀に幸運な結果を引き起こすこともあったが、大概は「何をしていたんだろうな」みたいな後味の悪い感情を残して去っていく。その後味の悪さが自らの成長の糧になっているので結果的には良い方向へ転んでいるが、その当時は己の行動によって精神的な揺らぎが引き起こされていたのは事実で、内心に抱える仄暗い感情が暴れ出さないように無理やり押し込んでいただけである。数年経過して、根底から価値観が覆るような出来事にいくつも直面したことで、「ああ、あのときの私は愚かで愛しいな」と思えるようになっただけで、当時はその状況を俯瞰して見ることすらできていなかったのである。
そもそも全てを自分の好き勝手に振る舞うことは不可能であるし、好きなことだけをやって、身も心もべたべたに甘やかしてあげることが自分を大切にするということだとは思わない。この国に暮らしている以上、定められた法律には従わなくてはならないし、会社などの組織に所属していれば、そこに所属して何らかの報酬を得ているならば、ある程度の義務を果たさなければいけない。
知り合ったばかりの人間からしばしば〈アニメや映画の中でよく見る、物書きとして悠々自適に暮らしている人〉と勘違いされがちな私ですら、基本的には文章を書いている時間よりも、クライアントの理不尽なスケジュール変更に耐えながら仕事している時間の方がはるかに長い。好きな時間に好きなことだけを追求する生活とは程遠いところに身を置いているのが現実である。
ただそんな生活が自分を大事にしていないかと言われると、別にそうは思わない。ある程度のストレスは心や頭への良い刺激になるし、好きなことを日常によって少し制限されているぐらいの方がその時間に熱狂できる気がしているのだ。そして何よりこのスタイルで、この場所で生活していくと決めたのは私であるから特段不平不満は持っていない。「あ、嫌だな」と限界に達したときに、自分にとって肌馴染みの良い環境に移動すればよいだけだ。
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