帝京高校野球部の練習はとにかく怖かった。お笑い芸人・杉浦双亮の挑戦記〈19〉
20数年前の名門野球部と、現代の野球。それはすべてが進化していた。
夏本番! プロ野球、高校野球と盛り上がりを見せるなかで四国にも「熱い」野球人がいる。
お笑いコンビ・360°モンキーズの杉浦双亮は、芸人と野球選手の二刀流に挑戦している。そのいまとは?
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怖かった帝京高校時代
【そうすけ氏の書籍「全愛媛が泣いたーーって本当に感動する」『最速123キロ、僕は40歳でプロ野球選手に挑戦した』】
暑い季節がやってきた。夏だ。
帝京高校野球部時代を思い出せば、監督は怖かったし、練習もきつかった。4、5時間バッティング練習をして、最後の30分くらいでノックをして終わる。そのあとプールメニューがあったり、ウエイトトレーニングがあったりしたけれど、基本的にはそのふたつが主たるメニューだった。
怖かったのは、それ以外、どんな練習をするのかがまったく分からなかったことだ。監督が「次はダッシュだ」と言えばダッシュ。「インターバル走をするぞ」と言えばインターバル走。しんどかったのは「手押し車」。ふたり一組でやるトレーニングで、両手を地面につき、両脚を相方に持ってもらって、手の力だけで前に進んでいくもの。体力的にきついのもそうだけど、地面ついた手のひらが痛かった。
どんな練習になるか分からないから、何時に終わるかも分からない。いつも思っていたことは、「どこで体力を温存すればいいか」ということだった。
「いまやっている練習で体力を使ってしまったら、次の練習はもたないぞ……」
もちろんすべての練習に全力で取り組んでいた。けれど、特に体力がまだない1年生の頃は特に、それが完璧にできるほど体ができているわけではなかった。だから、次の練習がなんなのか分からないことに恐怖があった。
いま振り返れば、いい思い出だ。
ときは流れて、あれから20数年が経った。
いまは、練習内容も終わる時間も全部が分かる。ホワイトボードにその日にやるメニューの順番、時間、すべてが書かれていて、システマチックに管理されているからだ。