「推し」現象の正体とは? アイドルはファンに自己肯定「感」と精神安定を与える【梁木みのり】
また、特に日本では「成長過程を見せる」タイプのアイドルが人気を得てきた。K-POPが主流になるよりも前の日本の多くのアイドルは、歌もダンスもその道のプロと比べると実力が乏しく、むしろそのあどけなさを売りにしていた。
歌のうまさやダンスのうまさといったわかりやすい指標ではなく、できなさも含めた人間性で愛される。これはそのままその人の「ありのまま」が認められ、愛されるということだ。ファンはアイドルのありのままの人間性を愛することで、アイドルに自己投影し、自分の人間性も誰かに(あるいは自分に)認めてもらえ、愛してもらえるような気分になれる。
この「人間性で愛される」ことこそ、数値で測れないものだけに、歌やダンスで評価されることよりもうんと難しいことなのだが、ファンもアンチもそれをわかってはいない。わからないほうが「自己肯定感は容易い」という幻想に浸れて幸せだろう。
このように、日本の「推し」たちはファンの自己肯定感(自己肯定ではなく、あくまでも「感」)に一役買ってきた。自己肯定感の欠乏が叫ばれる限り、「推し」文化は続いていくだろう。
「推し」ブームが始まってすでに数年経つが、やはりどうも一過性のものではなく、まだまだあらゆるジャンルに広がりと浸透を見せている。これは教育の歪さに端を発する現象であり、教育そのものが完治しない限り止まるものではないからだ。
一方で、今世界を席巻するK-POPアイドルに目を転じると、日本のアイドルとは少し違った様子だ。まず、BTSをはじめとする多くのグループが、自ら「セルフラブ」を掲げ、目に見える形で自己肯定を促している。「推し」構造の出番を待つまでもない。かの国で自己肯定感はそれほど喫緊の課題であるようだ。確かに、セルフラブ系の韓国エッセイベストセラーはとても多い。
とはいえ、「ありのままを愛する」ということが本質的にできているかといえばかなり微妙だ。なぜなら、K-POPアイドルは断然スキル重視。歌もダンスもラップも顔も完璧でないと、ファンに受け入れられない。明らかに矛盾しているが、これが国民性だろう。韓国では日本よりも遥かに受験戦争が熾烈だ。セルフラブ文脈の隣で、「一つの高みに向かう」という理想も根強くあり続けているのだ。
K-POPファンは、何でもできるすごいアイドルを「推す」ことで、自分もすごい人になった気分になれる。これももちろんあくまでもそういう「感」にすぎないのだが……日本式・韓国式のいずれにしても、アイドルはファンに自己肯定「感」を与え、つかの間の精神安定をもたらしてくれている。
文:梁木みのり
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