〝学び直し〟で〝バージョン・アップ〟した自分を目指す愚かさ 「リカレント教育」の矛盾を突く【大竹稽】
「自主性」の大誤解を正す!
■「自主性」をリカレント教育に持ち込むから不幸になる!
本来的な自主性なら、リカレント教育など不要なのです。最先端のテクノロジーにキャッチアップする人もいます。それを学びたい人もいるし、そんなものに無縁でも全然、平気な人もいます。最先端テクノロジーを獲得した人物たちが、なんでもできる完璧屋だと思ったら大間違い。メールを使いこなせても手紙上手なわけではありません。パソコンで描いたイラストと、紙に書かれた日本画や油絵は、やはり別物なのです。
そして、最新のテクノロジーがなくても「なんとかなる!」ことを教えられるのは、前時代の機械たちの醍醐味を教えられるのは、それを生活レベルで経験した人物たちなのです。
私は、「助け合い」「支え合い」という道徳的なきれいごとを主張しているのではありません。大誤解されている「自主性」をリカレント教育にまで持ち込んでしまう紋切り型に、憤っているのです。
自主性は常に「私たち」でなければなりません。「一人一人」なんて言っているようでは、やっぱり脇も思考も甘いと言わざるを得ませんよ。
文:大竹稽