「統一教会問題」と「ホスト問題」の共通点 〝キモイもの〟を感情的に例外扱いしていいのか?【仲正昌樹】
前回、統一教会問題とホスト問題には、“被害者”とされている人がかつて「喜んでお金を払っていた」という共通点があると指摘した。両者には、それ以外の共通点が少なくとも二つある。今回は、第二の共通点について述べてみたい。それは、両者とも、(直接接点を持ったことがほぼない)多くの人が、その名を聞いた時、この世界に本来あってはならないもの、消えてくれた方がいいものと感じる存在だ、ということだ。
この世の中には、その存在自体が犯罪的だと思われているので、何かトラブルが生じると、一方的に非があることにされ、断罪されがちな集団がいる。最も典型的なのは、暴力団だろうが、暴力団のように、法律で反社会的存在として明確に規定されていなくても、そう思われがちな集団がいる。
法律的には「反社」指定されていないため、かえって憎悪の対象になることさえある。「こんな汚らわしい奴ら、さっさと消えたらいい。もともと、とんでもないことをしているのだから、こいつらの扱いで、いちいち法律の細かい手続きを守ってやる必要はない」、という感情が掻き立てられる。
外部の人には何だかよく分からない目的のために多額の献金を集める新興宗教と、(通常とは逆に)男性が女性を接客し、担当者が売掛金の取り立てに責任を負わされる、特殊な風俗業であるホストは、そういう消えてほしい集団の典型かもしれない。
新興宗教の中でも統一教会は、王冠のようなものを付けて合同結婚式などの儀式を行う韓国人メシアのイメージから、キモイという感情を喚起しやすい。ホストの場合は、そもそも風俗なので、汚らわしいと思われやすいことに加えて、テレビでしばしば見かける、不自然なメークや煽り言葉、歌舞伎町(→闇社会?)等から、キモイというイメージを抱いている人も少なくないだろう。多くの第三者がキモイと思うものを、本人たちがステキだと言い張ると、そのどうしようもない感覚のギャップのため、余計にキモイと感じられるということがある。
統一教会の教祖がキモイという印象は、潜在的に、“韓国”差別を含んでいる可能性がある。一九八〇年代の左翼学生は、日本の植民地支配に対する反省や在日差別の克服を説く一方で、韓国生まれの統一教会とその政治団体である「勝共連合」や、学生運動団体である「原理研究会」を、KCIAの手先だとレッテル貼りし、「勝共連合=原理研は韓国へ帰れ」、と平気で言っていた――韓国に対する“遠慮”の反動が、統一教会に向けられていたのかもしれない。安倍元首相の暗殺事件以降、多くの(従軍慰安婦問題や徴用工問題では、被害者の声を聴くべきだと言ってきた)リベラルな知識人たちが、「
ホストに関しては、風俗自体が本来汚らわしいが、男性が中年の女性をお姫様扱いして煽って多額の金を使わせるのは(女性が男性に金を使わせる場合よりも)恥ずべきことだ、という感情的反発や、ヤクザなどの犯罪集団が背後にいるのではないか、という先入観が絶えずつきまとう。
いずれの場合も、そうしたキモイという第一印象が、被害者とされている人の行為に関する、「どうしてほとんど見返りがないと分かっている相手に貢ごうとするのだ。正常な判断をしていないのではないか」、という疑いと相乗化効果をもたらす。本人の意志ではなく、何かいかがわしいことをされ、意志に反した行動を取るよう誘導されているのではないか、といった想像に繋がる。