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右肩上がりでない未来【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第9回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第9回

 

【ライフサイクルコスト】

 

 古いおもちゃを沢山持っている。機関車の模型は100年以上まえの製品も珍しくない。動力は、ゼンマイか、あるいは蒸気機関、つまりアルコールを燃料として火で水を温め、発生した蒸気でピストンを動かす仕組みだ。こういったおもちゃは、その後はモータと電池に駆逐され、すっかり消えてしまった。室内で火を使うおもちゃなんて、現代では危険すぎて許容されない。近頃の子供は、火を間近に見ることさえないのだ。

 100年もまえのおもちゃが、今でも動く。金属が錆びるけれど、気をつけていれば大したことはない。だが、モータや電池はどうかというと、こちらは劣化が早い。電池は数十年で完全に駄目になる。モータはプラスティックが使われていると、その部分が割れたり、変形したりして直せなくなる。

 先日、ドイツの人から突然メールが来た。彼が持っているドイツ製の古い機関車のシャーシが変形してしまい、直せなくなった。ダイキャスト、つまり鋳物でできていて、亜鉛が使われている。50年くらいまえ、おもちゃによく使われた技術だが、劣化して、膨張したりひび割れたりする。彼の機関車のシャーシもバナナみたいに曲がってしまったのだ。ネットで検索して、同じ機関車の所有者を探したところ、10年まえに僕がアップした動画を見つけ、連絡をしてきた。「今もそれを持っていて、もし正常ならば、寸法を測って教えてほしい」という要望だった。

 ドイツでは、同じ機関車を持っている人が見つからなかったようだ。50年くらいまえに数百台生産されたものらしい。彼は、「ここの寸法を知りたい」と、自分で描いた図面を送ってきた。さっそく、寸法を測って、図面に数字を書き込んで送り返した。僕の機関車が無事だったのは、たまたま環境が良かったのか、それとも鋳物の調合に偏りがあったためなのか、いずれかだろう。

 工業製品は、それが作られる過程、使用される過程、廃棄される過程を想定して、デザインしなければならない。太陽光発電は使用過程では省エネで環境に優しいけれど、製作されるときにエネルギィを使い、破棄されたのちにも環境負荷がある。そういったトータルの性能を評価しなければ、本当に環境に優しいのかはわからない。

 新しい燃費が良い自動車を買うよりも、古い自動車を直しながら長く乗る方が環境負荷が少ない。省エネだからと新製品に飛びつくことは、むしろ環境的にマイナスとなる。生産する業界は、そういった不都合なことを表に出さないから、消費者は惑わされるだろう。「ライフサイクルコスト」というのが、この視点である。

 「省エネ」「環境保護」と宣伝された新商品が作られているが、実は、そういった新しいものを作らず、なるべく長期間同じ製品を使い続ける方が地球に優しい結果となる。

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✴︎森博嗣 新刊『静かに生きて考える』2024年1月17日発売✴︎

 

森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。どうぞご期待ください!

 

 

 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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