日本の教育危機はなぜ起きたのか? 「教育改革」という名のもとにおざなりにされた学習指導の基本【西岡正樹】
子どもたちや教師にとって〝面白くて魅力的な教室〟とは何かが分かる
◾️我々の「当たり前」は子どもたちの「当たり前」ではない
変わらなければイノベートできないこともあるが、変わることだけがイノベーションではない。イノベートするためになくてはならない不変なるものとは。
北九州市の門司港へ数日間里帰りをし、幼馴染みや中学時代、高校時代の友だちと会った。話をすればするほど、我々の子ども時代は、のんびりした時代であり、ほったらかしの時代だったなと、時代の移り変わりを確認し合うことになる。
しかし、我々の共通認識としてもう一つあったのは、60年前の学校は窮屈な所だったということ。教師もけっして平等ではなく、ひいきしている子への態度とひいきしていない子への態度の違いは、子どもにも分かるほどにあからさまだった。時に、その理不尽さに憤ることもあったし、それは高校時代まで少なからずあった。今思えば、それが成立していたのは、日本が民主社会への発展途上であったからなのだろう。
それでも、我々にとっての「子どもの世界」は、学校だけではなかったので、ひいきされていなくても落ち込むことはなかった。それどころか、ひいきされている子たちは教師の期待に応えようとするので「かわいそうだな」、そんなことを思う余裕があった。あの頃の「子どもの世界」は、子どもによって自治された「子ども社会」であった。
「子どもの世界にある『子ども社会』」は、きっと大人たちもその存在に気が付いていただろう。そして、その中でいろいろな問題があることも、大人たちはなんとなく知っていたにちがいない。しかし、大人たちは忙しく、その世界で起こることに干渉することはないし、子どもたちも問題解決のために大人に頼ることはなかった。子どもたちは自分たちの自治する「子ども社会」の中で逞しく生きていたのだ(子どもたちは生活の中で、常に考え、判断し、表現することを求められた)。
高校時代の友だちと話しをしていた時だった。彼は地域の活動に積極的に関わりスポーツ振興に寄与している。
「正樹は知っていることかもしれないけど、びっくりしたことがあったんだ。この前地域の活動で中学生を集めたんだけどね、その時に、受付で住所と電話番号、名前を書いてもらったら、なんと、自分の家の住所を書けないんだよ。家の電話番号も知らない。本当に驚いて、その後に中学校の先生に会って、そのことを話したら、『そんな子は何人もいますよ』と言われて2度びっくり。正樹、そうなのか?」
「そうなのか?」と言われても、その話に驚いたのは私も同じだった。でも、察しはつく。今、中学生に必要な情報は、子どもたちの頭の中にあるのではなく、持っている携帯の中にあるのではないだろうか。もしかしたら、若者たちは調べれば分かることは記憶しない習慣が身についているのかもしれない。きっと家の電話番号は分からなくても、自分の携帯電話の番号は知っているのだ。
我々の「当たり前」は彼らに通用しないし、彼らの「当たり前」も我々には通用しないということが分かるが、どんな社会になったとしても、自分のことは自分でする力(何でも自分ひとりの力でできることが「自分のことは自分でする」ではない)を養うことは必要なのではないだろうか。住所や電話番号を書けなくても、自分のことは自分でやれるのならば問題はないが、どうだろう。