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未知のベールに包まれている信長時代の岐阜城

楽市楽座で城下が賑わった・岐阜城 第2回

織田信長肖像画/写真提供アフロ

 

天下統一を目指す過程で、最もTPOに適した場所に城を移していった信長。先進かつ合理的だった移転の狙いとは? 歴代の居城をたどってみる。
 

永禄11年(1568)には浅井氏とは妹お市(いち)を長政の妻として輿(こし)入れさせることで同盟を成立させ、柳生(やぎゅう)氏と甲賀(こうが)衆の和田氏を使って興福寺にいた足利義昭(よしあき)を近江に逃がし、11月には沢彦(たくげん)和尚から与えられた「天下布武(てんかふぶ)」の朱印を使用し天下統一を宣言した。

また、正親町(おおぎまち)天皇よりの綸旨(りんじ)を得て、上洛を果たすこととなった。信長にとっては画期的な年であった。 

岐阜城の前身、稲葉山は鎌倉時代に二階堂行政(ゆきまさ)が砦を築いたことに始まるといわれている。二階堂氏が没落して城も廃城となっていたが、美濃の守護代であった斎藤氏が城を修復し居城とした。

大永5年(1525)には、一時、斎藤氏の家臣長井氏が謀反を起こし支配下となっていたが、これも長井氏の没落により、天文2年(1533)に斎藤道三が跡を継ぎ城主となった。天文8年(1539)に守護代の地位を得た道三は、金華山の山頂に本格的な城造りを始めた。そして信長がこの城を手に入れ自らの居城とした。

近年岐阜市で進められている発掘調査で新しい見地が報告されているとはいえ、信長段階の城の様子は、現状からは未だようとして明らかにはなっていない。(続く)

 

●岐阜城データ
城の種類/山城
所在地/岐阜県岐阜市天主閣18
築城年/建仁元年(1202)
施設/御殿、本丸、櫓、土塁、堀

 

文/木戸雅寿(きど・まさあき)

1958年神戸市生まれ。奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業。広島県草戸千軒町遺跡調査研究所、滋賀県安土城郭調査研究所を経て、現在滋賀県教育委員会文化財保護課。専門は日本考古学。主な著書に『よみがえる安土城』(吉川弘文館)、『天下布武の城 安土城』(新泉社)等。

 

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