老人になっても社会人である【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第10回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第10回
【社会との折合いをつける】
昔の年寄りというのは、今の年寄りよりも「しかめっ面」で、子供たちをよく叱った。外で遊んでいる子供は、見知らぬ年寄りから、いろいろ注意を受けたものだ。今では、そういう光景は少なくなった。年寄りは皆にこにこと笑っている。それどころか親も滅多に叱らなくなった。だから、子供たちは奇声を上げ、叫びながら走り回り、石や落葉をけちらせて、のびのびと遊んでいる。そんな光景に出合うと、犬は怯えてしまう。人間の子供ほど怖いものはない、と認識していることは確かだ。うちの犬たちは、子供を見る機会が滅多にないので慣れていない。だから、きゃあきゃあ叫びながら親しげに近づいてくる子供を見ると、「危険ですから帰りましょう」といって引き返そうとする。動物の本能というのは的確なものだ。人間の親たちは自分の子供たちを、百獣の王にしようとしているのかもしれない。
しかし、最近の年寄りたちは楽しみや夢を持ちつづけているのも事実で、人生を諦めているような人は少なくなった。新しい習い事を始めたり、毎日長時間歩き回り、また老人どうしで集まっては、歌ったり、スポーツをしたりしているらしい。そういう光景が目立つのは、老人の絶対数が増えたせいだろうか。
一方では、残り少ない人生を惰性で過ごすしかない年寄りもいる。今さら自分の生き方を変えられない、と首をふる。社会や環境が変化し、生きにくくなっていて、ときには危険にもなっているのに、もう少しの人生だからこのままやり過ごすしかない、と諦めている。まあ、そのとおりかもしれないし、もう少しだけでも踏ん張ってみても良いのでは、とも思えるし、どちらともいえない。
助言はない。人のいうことなど聞かない人たちには、自分の内から浮かび上がる方法しかない。説得は難しいだろう。しかし、古い建築物は耐震的に危険なのと同様に、運動神経の低下による運転ミスの確率が高くなるのも確実で、万が一のときに、助けられなくなり、周囲にも迷惑をかけてしまう結果を招く。老人の「これが俺の生き方だから、放っておいてくれ」という主張は、まっとうだし自然だけれど、社会との摩擦あるいは乖離は生じる。仕事からは卒業できても、社会からは卒業できない。山の中に籠もって自給自足する人以外、誰も一人では生きていけないのだから、そこそこの折合いを見つけるべきだろう。
歳を重ねると、そんな軟弱なことまで考えて、日々を生きていくことになる。自分の生き方であっても、人は宇宙の中にあり、自然の中にあり、社会の中にある。季節を愛でるように、社会もある程度は眺めつつ、楽しみ、ときどき文句をいっては溜息をつき、そして、できれば自分を少しずつでも変えていく努力を続けたいものだ。
文:森博嗣
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〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。