人生の中で自分の力で選び取れるものがないのなら……江國香織著『シェニール織とか黄肉のメロンとか』を読む【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第8回 『シェニール織とか黄肉のメロンとか』江國香織著(角川春樹事務所)
◾️「あたしたち、誤解だらけの人生だわ」
結局のところ、と、アドレス帖をえんえんとスクロールしながら理枝は思う。結局のところ、あたしが腹を割って話せる相手は民子と早希だけなんだわ。アドレス帖にはこんなにたくさん名前があって、なかには、かつてそれぞれに一時期、親密だった人たちもいるのに。
この小説を読んでいると、人生の中で自分の力で選び取れるものなど何もないのではないか、という気になる。
私たちの運命は、今で言うところの親ガチャ、それより大きな遺伝子、その時々の偶然など自分の力の及ばないものに支配されている。
民子と理恵と早希が親しくなったのも、そもそもは大学のクラスの出席名簿の順番が並びだったからだ。「諏訪」、「清家」、「瀬能」の姓が「三人娘」を誕生させ、その後の長きにわたる人間関係を決定した。
名を知られる作家となって民子も、外資系企業でキャリアを積んだ理枝も、夫と二人の息子とともに穏やかな生活を送る早希も、今ではそれぞれに自分たちの世界を持っている。ところが、三人で集まるとたちまち昔の空気に戻る。そこで三人は変わっているようで変わっていない友人を認識するとともに、変わっているようで変わっていない自分を認識する。それはまた、自分たちが生きている限定された世界の認識でもある。
どんなに遠くに行こうと、どんなに豊富な経験を積もうと、結婚しても、子供を産んでも、歳を重ねても、結局人は限定された世界から逃れることはできないのかもしれない。
そうであるなら、そのことを嘆くよりも、限定された世界の中で出会った人や物を大切にしたほうがいい。と言っても、ことさら友情を確かめあったり、強めたりする必要はない。時々会って、共有している思い出を語り合うだけでも、自分という存在を肯定できる。
たとえその思い出に誤解が交じっていたとしても。
民子、理枝、早希の三人は大学時代に本で読んだ「シェニール織」を白か生成の生地の繊細な織物、「カンタロープメロン」を黄肉のメロンと想像していた。まだインターネットが普及しておらず、海外情報も満足に得られない時代で、実物を確かめる術がなかったのだ。
ところがこの度の再会で、「シェニール織」と「カンタロープメロン」が自分たちの想像とはかけ離れたものであることを知って驚き、理枝はつぶやく。
「あたしたち、誤解だらけの人生だわ」
誤解を共有し、それが誤解だと知って、驚いたり、嘆いたり、悦んだりする感情もまた共有する。そうした些細なことを共有できる友達こそ、長い人生の中では大切なのではないだろうか。
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