人生の中で自分の力で選び取れるものがないのなら……江國香織著『シェニール織とか黄肉のメロンとか』を読む【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第8回 『シェニール織とか黄肉のメロンとか』江國香織著(角川春樹事務所)
◾️自分の力には限界があり、生きる世界は限れている
恵比寿の和食ダイニングで、寒鰤のカルパッチョ、鶏の柚子胡椒焼き、豆腐のサラダ、カキフライ、浅利とゴボウの炊き込みご飯などコースメニューを全てたいらげても話は尽きなかった。
思い返せば大学に入るまでバドミントンとは無縁だった私がバドミントンサークルに入ったのも偶然だった。大学合格の報告をしに高校に行った日、たまたま校門で同じように報告に来た同級生の男子と会った。私が大学の名前を言うと、お姉さんが同じ大学で今年卒業だという。
「姉貴は高校からバドミントンをやってて、大学でもバドミントンのサークルに入ったんだけど、いいサークルで、四年間楽しそうだったよ」
私はその男子を好きとは言わないまでも、淡い好意を抱いていたので、入学するとそのサークルを見学に行き、即入部を決めた。彼が私とは違う大学に進学したこともあって、その後話をする機会はなかったから、もしもあの時、校門で会わなかったら、私はバドミントンサークルに入ろうなどとは思いもせず、今目の前にいる彼女たちと会うこともなかったのかと思うと、不思議な気がした。
最後の抹茶アイスを食べながら、大学を卒業した時のことを思い出した。
銀行、メーカー、商社、出版社とそれぞれに内定をもらい、謝恩会の会場で慣れないドレスを身にまとっていた私たちはあの時、自分たちの未来は無限の可能性に満ちていると思ってはいなかっただろうか。自分たちはこれから社会に出て、活躍の場を海外にも広げ、めくるめく恋をして結婚し、今いる世界とは全く別の世界に行くのだと。
それが幻想であり、自分の力には限界があり、生きる世界は限られているのだと悟るのに、さして時間はかからなかった。
それでも今、自分なりに納得のいく仕事や伴侶を得、昔の仲間と集まって思い出を語り合い、楽しいひと時を過ごせているのだとするならば、それは私たちが限定された世界の中で、自分というものを見据え、少しでもいい人生を送ろうと努力をしてきた結果ではないかと思うのだった。
文:緒形圭子
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