余計なものを持つことの価値【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第11回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第11回
【膨大なガラクタを眺める毎日】
まえから何度も書いていることだけれど、僕のガレージや倉庫や地下室にある夥しい数のおもちゃは、誰が見ても絶句するほど凄まじい。僕自身も、「よくも、まあ、こんなに」と溜息が出るほどである。すべて、僕が買ったものだ。誰かから引き継いだわけではないし、拾ってきたわけでもない。自分で作ったものも多いけれど、それは材料などを買った結果だから、やはりお金と時間をかけて手に入れたものといえる。
これらの収納スペースだけでも、平均的な住宅の床面積よりも広い。収納スペース専用の掃除機が3機も常設されているし、ものを移動させるための専用の台車も4つほどある。ゆくゆくは鉄道を敷いて、このスペースで乗って楽しもうかと考えているほどだ(地下倉庫で実現すれば、正真正銘の地下鉄になる。おそらく、個人の趣味として世界初となるのではないか、と妄想している。否、妄想ではない。既に線路は買ってある。
一年で一番寒い時期なので、屋外では遊びにくいため、最近はガレージや地下倉庫をぶらぶらと歩いている。地下はボイラ室がある関係で、暖房がないのに暖かい(ちなみに、夏は涼しい)。
「お、これは!」と発見するものが必ずある。買ったことを忘れていたとか、引越しのときに箱に入れたままだったとかで、模型や機械のジャンク品がほとんど。手紙、文章、本、写真など、いわゆる文系の資材もあるにはあるが、それらは段ボール箱に入ったままで、開けることは一切ない。新刊の見本、増刷の見本も段ボール箱で50箱くらいはあるけれど、ただ壁際に積まれて、断熱材の役目を果たすだけだ。
図書館や博物館が好きな人なら、この物体というか、ヴァーチャルではない現実の品々に囲まれた雰囲気がわかるのではないか。文章や写真はデジタルになる。しかし、ガラクタは電子化できない。何故なら、それらをさらに分解し、組み直し、新しいものを作る楽しさを、今のデジタルの解像度では実現できないからだ。
ときどき、これを少しいじってみよう、と思いついたものを工作室へ運び入れ、そこでいろいろ試してみる。修理をしたり、復元したりして、また新たな楽しみが生まれる。それを感じられるのは自分一人だけで、誰かに見せるつもりはない。
修理をして、動くようになったら嬉しい。どんな仕組みになっているのかが理解できたときも嬉しい。オイルで手を真っ黒にして、時間を忘れるほど没頭してしまう。
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世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。