本当は誰宛だったのか? マリー・アントワネット最後の手紙に隠された秘密
『ベルサイユのばら』で読み解くフランス革命③
義妹に送られたはずの手紙、しかしその内容は……
1789年に革命が起こったことで、それまで絶対的な権力を握っていたフランス王室は民衆に打倒されることとなりました。時の王であったルイ16世とその妃マリー・アントワネットは、身の危険から国外脱出を試みましたが失敗し、家族とともに幽閉の身となってしまいます。その後行われた国王裁判でルイの処刑が決定。夫亡きあと、アントワネットは愛する子どもたちと引き離され、ひとり牢獄へと移されました。
1793年10月14日、とうとうアントワネットも裁判にかけられます。裁判長はアントワネットに、それまでの浪費の件や、「国王をそそのかしヴァレンヌ逃亡を仕組んだ」「王政を復活させようとした」「亡命貴族とともに国家の安全を脅おびやかす陰謀を企てた」などの罪状について問いただしました。
劣悪な環境のせいでアントワネットの身と心はすでにボロボロでしたが、彼女は毅然とした態度で明確に受け答えし、王妃の威厳を保ち続けました。
こうして一日15時間も続く裁判に耐え続けたアントワネットに、10月16日、とうとう死刑判決が下されました。裁判長から「なにか申したてることがありますか?」と問われても、アントワネットはただ黙って首を横に振るだけでした。
牢獄に戻り、アントワネットは義妹エリザベスに向けて長い手紙をしたためます。
良心になんのとがめもない人間がすべてそうであるように、わたしの気持ちはいま平静です。かわいそうな子どもたちをおいていくことだけが、心のこりでなりません。
ご存知のように、わたしはいままで子どもたちと、善良で愛情ぶかい義妹であるあなたのためにのみ生きてまいりました。友情からすべてを犠牲にして、わたしたちのそばにとどまってくださったあなたを、わたしはなんという境遇におきざりにしていくことでしょう…(略)…わたしたちの友情があの苦しみのときにどんなになぐさめになったことか! しあわせというものは、もし、したしい友とわかちあえれば、二重に享受できるものです……(略)……わたしのすべての知り合いに対し、そしてとりわけ愛する義妹よ、あなたに対してわたしが知らず知らずのうちにあたえた苦しみを、どうぞおゆるしください――。
穿った見方になるかもしれませんが、この手紙は本当は愛人であるフェルゼン伯爵宛てに書かれたものだったのではないかなどと、いろいろと考えさせられるところがあります。また彼女は、自分が歴史に残る人物になることを、この時点で理解していたのです。その予感を踏まえて手紙を書き残したような向きもあり、後世の人に宛てて書いていることがよくわかります。この手紙は、かつて軽佻浮薄で何も考えないで生きてきた人間が、不幸によって成長したのだということの象徴でもあるのです。
残念ながら、この手紙はエリザベスには届かず、発見者の検事を通してロベスピエールの手へと渡ります。彼が亡くなると、保管されていた手紙は紆余曲折を経て、23年後、アントワネットの娘マリー・テレーズのもとへと届くのです。
16日12時15分、ギロチンの刃は落とされ、アントワネットは愛する母と国王のもとへと旅立ちました。ちなみに、『ベルサイユのばら』はこのアントワネット処刑をもって幕を閉じています。