日常の〝悩み〟に終わりはない。「教師」と「旅人」二足の草鞋を履いてわかったこと【西岡正樹】
「井の中の蛙大海を知らず」というが果たして・・・
【旅が日常になってしまうと旅が面白くなくなる理由】
旅が日常になってしまうと旅が面白くなくなるのは、多様な視点が持てなくなるからだということが、長く旅をしていて分かってきたのだが、また困ったことに、その多様さばかりに目がいってしまうと、逆に本質的な日常を見失いそうになる。所詮、私たちは「人間」である。旅であろうと日常の生活であろうと、私たちはどこでどのように生きていようと「人間」なのである。同じ「人間」が起こす事は、マキシムな世界で起きている事も、ミニマムな世界で起きている事も、大きく変わることはない。私が長く旅をしていて見えてきたことだ。
教え子の話の中で見えてくる教え子自身の葛藤は、人間の「エゴ」や「保身」が渦巻く中で、自分の仕事がどれだけの人の幸せに繋がっているのか、ということのようなのだが、教え子の気持ちは理解できる。人間は誰もひとりでは生きていけないと無意識の部分で分かっている。だから、人間は成長すればするほど、自分自身の幸せと他の人の幸せを考えながら生きていかなければないことを意識する。そこに人間としての本質を見ているからこそ、教え子は自分の行いはこれでいいのかと悩むのだ。
教え子のように「大海で泳いでいる者であっても悩みの根本は同じなのだ」と思える旅の道中。
文:西岡正樹