SMAP、キンキ、嵐、キンプリ・・・ジャニー喜多川の最高傑作を決めよう(後編)【宝泉薫】
ふたりは「ジャニーさんっ子」と呼ばれるほど可愛がられ、デビューしてからも愛情を注がれ続けた。堂本剛は事務所的にあまりよしとされないソロ展開や作詞作曲活動をジャニーによって認められたし、堂本光一はジャニーが手がけたミュージカル「SHOCK」の主役に起用されたのみならず、その脚本や演出をアレンジすることを許され「Endless SHOCK」という新作を生み出して今も演じている。
そもそも、堂本というそこそこ珍しい苗字のふたりが出会うこと自体、天の配剤というほかなく、またタイプも絶妙に好対照だ。子役経験があって、歌も芝居も天才肌だが、ちょっとやんちゃでこじらせているところが母性本能をくすぐる剛。王子様キャラでありながら、ストイックな努力家でもあり、仕事が恋人みたいな生き方を貫きそうな光一。このコンビはデビュー前から絶大な人気を集め、全レコード会社による争奪戦となったが、事務所はわざわざ自前のレコード会社「ジャニーズ・エンタテイメント」を作り、そこからデビューさせた。そのおかげで、ジャニーズが培ってきた音楽的美学が濃厚に含まれた作品が数多く生まれ、それは今も続くシングル連続1位獲得記録などの成果にもあらわれている。
個人的には、KinKi Kidsこそジャニー後期の最高傑作として推したい気持ちだ。
90年代には他に、TOKIOやⅤ6も登場。前者はバンドスタイルの音楽と職人的スタンスのバラエティーで長く親しまれている。後者については年長組と年少組の組み合わせが、光GENJI以上にうまくハマり、四半世紀以上も同じ6人での活動をやりきった。
しかし、2000年代あたりから、綻びのようなものが見え始める。NEWSや関ジャニ∞、KAT―TUNはそれぞれ、新たなコンセプトで人気を集め、実績をあげたが、わりと早い段階で脱退するメンバーが出るなど、グループとしてのバランスにやや欠ける印象を抱かせた。
特に、NEWSはデビュー時の9人から3人にまで減少。残ったひとりの小山慶一郎が、
「『○○のゆかいな仲間たち』の“ゆかいな仲間”だけしか残ってない」
と自虐したこともある。この「○○」は当時のジュニアで一番人気だった山Pこと山下智久を指すわけだが、このグループは当初、山下を売り出すための1作限定プランで組まれたという。そこから本格デビューに切り替わったことが、メンバーたちの混乱を招いたのだろうか。