SMAP、キンキ、嵐、キンプリ・・・ジャニー喜多川の最高傑作を決めよう(後編)【宝泉薫】
ちなみに、嵐が結成される時点でのジュニアのエースは滝沢秀明だった。メディアが滝沢中心のグループになると予想するなか、ジャニーはあえて彼を外すという選択をする。「8時だJ」(テレビ朝日系)という冠番組を持つなど、史上最高潮だったジュニアのブームを維持するために滝沢を残したとされるが、結果として嵐のバランス感、ひいてはチームワークのよさにもつながった。
一方、滝沢は嵐の3年後、タッキー&翼としてデビュー。ただ、ジュニアブームがすでに退潮し始めていたこともあって、大成功とはいかなかった。滝沢はのちに、ジャニーの仕事を受け継ぐとして引退、事務所の幹部になったあと、裏切りともとれるようなかたちで独立してしまう。そこには、アイドルとしてやや不完全燃焼に終わったことによる、事務所への複雑な感情も影響していたのではないか。
なんにせよ、滝沢や山下、さらには赤西仁といった逸材を活かしきれなかったという印象は否めず、SMAPや嵐のような国民的グループは誕生しなかった。そのあたりをジャニー自身の感覚や気力の衰えと結びつけることも可能だが、そもそも、三匹目のどじょうはいないというか、あり得なかったともいえる。女性アイドルに目を向けても、モーニング娘。からAKB48、そして乃木坂46へと移ろっていき、国民的グループはひと時代にひとつという流れが続いている。国民的グループが並立、それも同じ事務所にいるという状況がもう奇跡だったのだ。
そういう意味で嵐が本格ブレイクを遂げた以降にデビューしたグループ、Hey! Say! JUMPやKis-My-Ft2、Sexy Zone、ジャニーズWESTなどには最初から超えようのない壁が存在していたのだろう。
とはいえ、SMAPは16年に解散。嵐もその4年後に活動を休止した。そのあいだの18年にデビューしたKing & Princeには、一気に国民的グループへと駆け上がる可能性もあったように思う。
それこそ、デビュー曲「シンデレラガール」は「花のち晴れ~花男 Next Season~」(TBS系)の主題歌。このドラマは「花より男子」の続編であり、エース的存在の平野紫耀がヒロインの相手役を務めるなど、嵐ブレイクの再現が期待できそうな順調な船出だった。
が、数か月後には岩橋玄樹が病気で休養するという事態となり、21年に脱退。22年には、平野を含めた3人が脱退して、現在は二人組での活動だ。
ジャニーが最後にデビューさせ、タイミング的にもポテンシャル的にもかなり上を狙えそうだったキンプリの分裂は、今思えばその後のジャニーズ危機の予兆だった気もする。せめてもの慰めは、19年に死去した名伯楽がその分裂を見ずに済んだことだが、生きていれば分裂はなかったかもしれず、また、疑惑に反論したり、メディアを訴訟したりもできただろう。いろいろな意味で残念だ。