個性は自分一人で作り上げるものではない 立川談春『赤めだか』で綴られた師弟の凄み【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第10回 『赤めだか』立川談春著
◾️「理不尽に耐えるのが修業だ!」と言った師匠
17歳の佐々木信行青年が高校を辞めて立川談志に弟子入りしたのは、1984年3月。「談春」は談志がつけてくれた前座名で、途中で改める人もいるが、現在にいたるまでその名前で通している。
入門のいきさつや入門後の新聞配達をしながら師匠宅に通った日々、築地の魚河岸に修業に出された経験、兄弟子たちとの関係、二ツ目昇進試験やお披露目の会など、青年がもがき、苦しみ、考えながら芸をつかんでいく過程は彼の著書『赤めだか』に詳しい。
この本は2008年4月に刊行され、同年の講談社エッセイ賞を受賞しているが、雑誌『エンタクシー』で連載が始まったのは2005年で、連載のタイトルは「談春のセイシュン」だった。
確かに、描かれている17歳~21歳という時期は普通でいくと高校生から大学生で、世に言う「青春時代」である。大半の若者は恋愛にうつつをぬかし、大学の授業をさぼって遊びほうけている。一方談春は新聞配達をしながら芸の研鑽に孤軍奮闘する日々。落語家の修業ってみんなそんなものだろうと思うかもしれないが、それは違う。本来なら師匠宅で雑用などしながら芸の手ほどきを受け、前座として寄席に出て落語家のいろはを学ぶというのが一般的なのだが、立川流は家元の談志が落語共同体を飛び出したため、自身も弟子も寄席に出ることが出来ない。寄席という勉強の場を持たない談志の弟子たちは何を学べばいいのか、から自分で考えなければならなかったのだ。
「弟子になったばかりの若者が、時間割を決め、資料を集め、ひとつひとつ自分で考え、覚え、それを談志の前で発表する。発表した者に限って談志は次の仮題を見つけるヒントだけ与える。立川流は一家ではなく研究所である」と、談春は本の中で書いている。
これはとてつもなく過酷なことではないか。ライオンではないが、谷底から自力で這い上がってきた者だけが生き残れる世界だ。談春と同時期に、脱サラをして入門した真面目な青年は談志から「談秋」という前座名をもらいながら、半年で廃業してしまった。
精神を保つだけでも大変だというのに、談志に言われ談春は二人の兄弟子とともに築地場外の食料品店で働かされることになる。そこで礼儀作法や気働きを学んでこいというのだ。他の落語家の弟子たちは寄席で着物のたたみ方や挨拶の仕方を教わり、時には小遣いをもらったり、飲みに連れていってもらったりしているのに、談春は大量のシューマイを自転車で運ぶ毎日。「理不尽に耐えるのが修業だ!」と談志に言われても納得できるわけもなかっただろう。
こんな風に書くと悲惨な話のようだが、実際悲惨な話なのだが、談春が書くと、まるで落語のように面白い。今回読み返して、笑い通しだった。
福田さんは談春の文章を「言文一致ならぬ人文一致」と評している。自らの生きるスタイルを文章のスタイルと一致させているというのだ。
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