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個性は自分一人で作り上げるものではない 立川談春『赤めだか』で綴られた師弟の凄み【緒形圭子】

「視点が変わる読書」第10回 『赤めだか』立川談春著

  

◾️「談志の魅力」と「談春の屈辱」

 

 血気盛んな若者が逆らうことなく師匠に従い続けられたのは、それだけ談志に魅力があったからに違いない。それについて、談春はこう書く。

 「弟子は皆、談志に恋焦がれてはいる。断言してかまわないだろう。何故なら損得だけで付き合うには談志はあまりに毀誉褒貶が激しすぎる。離れて忘れた方が身のためと、実は誰もが一度は考える悪女のような人だが、それでも忘れられない、思い切れない魅力がある」

 さらに、落語の才能についての自負もあった。談春は兄弟子である関西と談々を抜いて自分が先に前座から二ツ目に上がると信じていた。ところが、思わぬライバルが現れた。談春たちが築地修業に出ている間に新しく弟子入りした志らくである。高田文夫の大学の後輩で、談志のお気に入りで、築地修業も免れている。落語を覚えるのが速く、一年半のキャリアの差があったというのに、談春はあっという間に追いつかれてしまった。

 結局、二ツ目に上がったのは同じだったが、真打昇進では先を越されてしまった。落語界では、たとえその差が一日であっても先に入った者を後に入った者が「兄さん」と呼ぶ。志らくにとって談春は「兄さん」だったが、先に真打になったためこの順番が入れ替わり、公式の場では生涯、談春の上に位置することになった。落語家にとって、これほどの屈辱はない。談春の両親は泣いたという。

 そこをいかに談春が乗り切り芸に昇華させたかは、『赤めだか』を読んでいただきたい。

 127日の有楽町朝日ホールで談春はマクラ代わりに『十徳』、次に談志が講談から落語にした『白井権八』を演り、最後は『包丁』。

 清元の師匠を女房にしているツネは他に女ができたので、女房と別れたい。そこで兄弟分のトラに女房をくどいてくれと頼む。浮気の現場に乗り込んで、「亭主の顔に泥を塗りやがって!」と言いがかりをつけ、女房を田舎の芸者に売り飛ばし、手に入れた銭を二人で山分けしようという魂胆である。

 

 心で止めて返す夜は~♪

 可愛いおまえのためにもなろと♪

 

 家に上がり込んだトラが酒を呑み、小唄を歌いながら、女房の手を握ろうとすると、女房がピシャリ!と跳ね返す。ツネのように男前ではなく、着ている物もボロのトラだが、粋を気取っているうちに、何となく本気になってくる。しかし、女房はとりつく島もなく、しまいには怒り出し、「ブリのアラのようなツラして女をくどくな!」と言ったものだから、トラの方も爆発し、ツネの計画をばらしてしまう。事実を知った女房は途端に態度を変え……。

 いちばん難しいといわれるこの場面を談春は見事に演じきった。久しぶりに見たけれど、うなるほどの上手さだ。人間関係というのは流動的で潮目が変わる。そこを演じられるのは人情の機微を深いところでとらえているからだろう。談志は談春の『包丁』を「文句なし! 俺より上手い!」と激賞していた。

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緒形圭子

おがた けいこ

文筆家

1964年千葉県生まれ。慶應大学卒。出版社勤務を経て、文筆業に。

『新潮』に小説「家の誇り」、「銀葉カエデの丘」を発表。

紺野美沙子の朗読座で「さがりばな」、「鶴の恩返し」の脚本を手掛ける。

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