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気持ちという質量【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第14回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第14回

 

【幸せは加速度で体感されるもの】

 

 子供のときの強い思いが大人になっても残っていて、なにかのモチベーションの核になる。ただ、それほど単純ではもちろんない。僕の場合でも、子供の頃とまったく同じことをしているわけではない。あのときが始まりだった、というだけの話で、そこからずいぶん遠くまで来たな、としばしば思う。探究がどんどん深くなっていたり、範囲が広がっていたり、関連する別の分野に飛んでいたりもする。

 また、子供のときにできなかったことを実現する、といっても、環境がすっかり変わっているから、困難さはだいぶ異なっている。かつては、いろいろな条件が重なって不可能だと諦めていた目標が、今では比較的身近で容易に手が届く場合が数多い。メジャな例を挙げれば、子供の頃にはトランシーバで遠くの人と話をすることが夢だったから、アマチュア無線の免許を取得して、無線機も自作した。今では、世界中と誰でも瞬時に、しかも安価にそれができてしまう。離れているものを思いどおりに操縦したいと夢見ていたけれど、今ではそれが普通になった。「無線」という言葉さえ消えてしまったほどだ。

 ある意味で、子供たちの未来に向けた夢は、ことごとく取り上げられた状況が現代だともいえるかもしれない。なにもかも実現できてしまう魔法のような社会になっているのだから、「技術」ではなく「呪文」を身につけよう、と考えてもおかしくない。もしかして、その「呪文」の一例が、「友達」とか「絆」といった類のものになっている、とも観察できる。まるで、そちらの方向でしか「夢」を求める道が残されていないかのように。

 一方で、大局的に見れば、ここ半世紀の日本は平和だった。誰も、これには異を唱えないものと思う。他国から侵略されることもなく平和が続いた。何十年も物価は上がらなかったし、道路も鉄道もどんどん作られ、それらの恩恵をみんなが受けることができた。子供たちは、平和な未来を夢見なくても良かった。少子化のためか、かつてより受験戦争も穏やかになり、芸術やスポーツに対して憧れを持つ子供が増えた。

 などと書くと、皮肉に取られるだろうか? 夢を見られないことが、いかにも悪い状況のように考える人もいるかもしれないが、そうではない。夢を見たのは、不満な状況だったからであり、今が満足であれば、未来に願いを託さない。さらにいえば、人の幸せというのは、現状の客観的な位置や傾向ではなく、それらの変化、すなわち微分値、つまり「加速度」に依存する。現在の高低値や傾向を感じることはできない。変化だけが、人の感覚を左右する。これは、「力は加速度と質量の積である」という物理の定義にも通じる。

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「無事」を重ねることが、人生の成功である。少し気をつけていれば、誰でもできる。ときどき予期せぬ不運が襲ってきても、また少しずつ無事を重ねて挽回していけば良い。勝たなくても良い。負けても良い。またの機会を待てることこそが、成功の価値なのである。(第35回「充実した人生に唯一必要なもの」より抜粋)

 

◉人生はプログラミング◉水を差しにくい社会◉話し上手と書き上手

◉老人になっても社会人である◉余計なものを持つことの価値

◉気持ちという質量◉「潔癖社会」純度上昇中◉ジェネラリストは存在しない?

◉どうなれば成功なのか?◉適度な自己中のすすめ◉アイデアを思いつける人

◉思いつきの手法◉新しい価値は無駄から生まれる◉頭は知識で肥満になる

◉楽しければそれで良いのか?◉効率か快適か、それが問題だ

◉自己利益が最重要な方針◉作るために必要なこと

◉一人でいることは、自由の象徴◉充実した人生に唯一必要なもの

◉AIが活躍する未来って?◉的確な質問をする能力

◉ネットのモラルはこれから◉フィクションを楽しむ条件

◉いつ死んでも良い生き方とは etc.

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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