「元AV女優」という経歴もあって私が最優先にしていた態度とは? 記憶のなかの「取捨と選択」【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第42回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでほしい」 赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第42回。「私」を支えている価値観を一つ一つを辿ってみた。
【私の選択は間違いだったか?】
時々、考えてしまうことがある。もし私のことを全く知らない人たちに囲まれて「あなたはどんな人間ですか?」と聞かれたら、私は何て答えるのだろうかと。
そんなこと年齢や職業など分かりやすいものを答えれば良いだけなのに考えることなどあるのだろうかと不思議に思うかもしれないが、私が言いたいのはそういった社会的な分かりやすい所属を答えられるかどうかの話ではない。もっと根源的な、私を私たらしめているものを聞かれたときにはっきりとした答えが出せるのかということだ。私のことをよく知る友人たちは「こういう考え方はあなたっぽいよ」とこれまでの関係値から私という存在と私の思考をはっきりと言語化せずとも理解してくれるが、全く知らない人ならばそうはいかない。私は私という人間をどのように説明するのだろうかと一抹の不安が過ってしまうのだ。
私を私たらしめているものは何だろうか。私が好きだったものや大事にしてきたもの、私を支えている価値観、一つ一つを辿ってみるものの、記憶から抜け落ちてしまったものの多さに自分のことながら呆れてしまう。もっと色んな存在に支えられてきたはずなのに、いまいち何が大事だったか思い出せないのだ。単純に時が経ったせいで忘れたというのもあるだろうが、それ以上に一人で生き抜いていくために記憶の真ん中にある穏やかな部分、そしてそこに紐づいている感性を必要以上に自分の中から排除しようとした結果だろう。
ここ数年、立ち止まることなく突き進んできた。心のどこかで一度速度を緩めてしまえば、もう同じように動けなくなるような気がして、ずっと気を緩めずに戦い続けなければと思ってしまっていた。自分の経歴のせいもあって、善良な人だけが近づいてくるわけではない。自分自身に火の粉がかからないように、必要以上に好意も悪意も持たれないように相手とのバランスをとらなければならず、初対面の人間と少し話すだけでも気力と体力を搾り取られるような感覚があった。そんなときに必要なのは優しさでも思いやりでもなく、目の前にいる相手になめられないようにすること、それが最優先であった。その時間の中で、なるべく自分の精神を弱くさせるような事柄に対して無意識的に切り離すような態度をとるようになった。
別にそれが失敗だったとは思っていない。その選択をしたのは結果的に間違っていなかったし、自分自身が窮地に陥るような事態も免れることができた。ただ、最近になってそのままー大事な何かを蔑ろにした状態のままで、この先の時間を過ごすことに少しの不安と恐怖を覚えてしまったのだ。私がこれまでに経験し得てきたものは私の血肉となって、それが確固たる自信へと繋がっている。しかしながらそれらは私を真の意味で救ってくれることはないのだろう。私が足を止めたときに支えてくれるのは、きっと私がどこかに置いてきてしまった存在たちなのだと心のどこかで予感しているのだ。
- 1
- 2