カンボジア・ベトナムで体験した「個人主義」と「強かに逞しく生きる力」【西岡正樹】
「生きる力」はどこから生まれるのか?
■欧米とは異なる「個人主義」がカンボジアやベトナムにはある
カンボジアやベトナムの人たちの中にいると、欧米とは異なる徹底した「個人主義」が、人々の中に根付いているように見える。欧米の「個人主義」についても、私は旅を通して学んだのだが、欧米の人たち、とりわけ西ヨーロッパや北米の人たちは、自分と他者との距離感をとても大切にする。だから、自分の領域やペースは断固として守るが、他者の領域やペースもとても尊重する。だから、他者の領域を自分が犯しそうになると必ず言葉をかけ、言葉によって自分と他者との距離感をうまく調整していた。
しかし、カンボジアやベトナムの人たちの行動は、むしろその逆で、相手との距離感をほとんど考えずに行動するのだが、相手が自分の領域に無断で入ってきても、それを許容できるのだ。その徹底した振る舞いは、それは、それは驚きに値する。
私がカンボジアをバイクで走り始めた当初、目の前にやってくる数多くのバイクの動きは予測不可能で、それぞれがそれぞれのペースで動いているのに唖然とした。目の前はカオス状態なのだ。
「いやぁー、これはどうすればいいんだ、俺は何を、誰を基準に走ればいいのだ」と思った。ところが、初めは慌てふためいていた私なのだが、いつの間にか誰かに合わせるというよりも、周りを観察しながら「自分のペース」で走り始めていたのだ。
その時、私が納得したのは、「基準のないところに基準を求めればさらに混乱するだけだから、それぞれが周りを見てその中で自分なりにベストなものを選択して行動すればいいのだ」ということだった。そう思うと、目の前に起こる予測不能な出来事に対して、私の苛立ちが面白いほど小さくなっていった。
それぞれがそれぞれのペースで行動するから、人と人の距離がとても近くなることもあるし、さらに人と人が交錯することも度々あるけれども、そこには言葉は存在しない。道路上では、自分の存在を知らせるクラクションがあるだけだった。